一説では日本三大合戦といえばまず「関ケ原」…

西日本新聞 オピニオン面

 一説では日本三大合戦といえばまず「関ケ原」。次は武田信玄と上杉謙信の「川中島」。さて三つ目は? 九州の覇権を懸けた「筑後川の戦い」である

▼時は騒乱の南北朝時代。舞台は筑後平野。南朝方と北朝方の軍勢計10万が筑後川を挟んでにらみ合い、1359年8月29日(旧暦8月6日)、筑後川の北の大保原(おおほばる)(福岡県小郡市)で激突した

▼南朝方の大将は後醍醐天皇の皇子懐良(かねなが)親王。肥後の猛将菊池武光の活躍で勝利。「征西府」を大宰府に移し九州一円を治めた。その栄華は10年ほどで終わるが、その間、北朝方の足利幕府は九州に手を出せなかった

▼そこにロマンを見いだしたのが佐賀県唐津市生まれの作家北方謙三さん。懐良を主役に「武王の門」を著した。幼少の身で征西将軍となって九州へ渡り、辛酸をなめる懐良を、勇猛な菊池一族の武光が支える

▼やがて懐良は南朝の京都奪回より九州国の樹立と朝鮮半島との連携を夢見るように。「九州は、九州の民のものよ」との懐良のせりふに、九州人北方さんの思いが凝縮されていよう

▼長いデフレやコロナ禍のせいか「地方分権」や「地方の時代」という言葉をあまり聞かなくなった。筑後川の戦いの認知度が低いのも中央政権に偏りがちな歴史観の一端か。毎年の天災や人口減にあえぐ九州だが、沈んでばかりはいられない。足利幕府のように迷走する「中央」には任せておけないこともある。

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