文学から学べる「闘う姿勢」 中野和典氏

西日本新聞 オピニオン面

コロナ禍と戦後75年

 新型コロナウイルスのために先の見通しが立たない日々が続いている。未知の出来事に遭遇したとき、人は過去に照らしてそれを理解しようとするが、うまくいかないときがある。たとえば今年は戦後75年にあたるが、この年数から思い出されるのは「75年は草木も生えず、人も住めない」という噂(うわさ)が被爆直後の広島・長崎で広まっていたことである。これについては大田洋子「屍の街」などさまざまな小説や証言に記されており、それらを読むと人々が恐怖や疑問を感じながら噂し合っていた様子がよく分かる。もちろんこの噂は誤りだったのだが、75年という他の兵器なら最初から問題にされるはずがない時間の長さには、原爆投下という未知の出来事に遭って照らし合わせるものがなかった人々の不安の大きさが表れている。

 今、私たちも大きな不安を抱えている。それを消し去ってくれる過去は見当たらない。むしろ過去に照らして露(あら)わになるのは、私たちがあまり変わっていないということである。今年の1月に武漢が都市封鎖されたとき、私はまるでカミュの「ペスト」のようだと驚き、都市封鎖など昔話だと思い込んでいた自分の浅はかさを思い知らされた。転売目的のマスクや消毒薬等の買い占めが横行し、デマと報じられているのにトイレットペーパーの買い溜(だ)め騒動まで起こった。感染者への差別も深刻である。未曾有(みぞう)の状況下で既視感を覚えずにはいられない問題も起こっている。75年後の人々の目に私たちの姿はどう映るだろうか。

 未知の出来事との遭遇を描いた文学作品は多い。それは石牟礼道子「苦海浄土」、アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」、村上春樹「アンダーグラウンド」といった公害や事故やテロ等の関係者を取材した記録的な文学だけではない。文学は個人的なことから社会的なことまで実にさまざまな未知との出会いを掬(すく)い上げる。それらを読むと、先の見通しが立たない中で自分の役割を問いつづけ、手探りでその状況と闘った人々が確かにいたことが実感できる。文学を読んでも新型コロナウイルスを撃退する知識は得られないが、闘う姿勢なら学べるかもしれない。闘う人間。それもまた私たちの変わらない姿なのだと信じたい。

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 中野 和典(なかの・かずのり)福岡大人文学部教授 筑紫女学園中学・高校、佐世保高専の教員を経て2011年から現職。01年に発足した原爆文学研究会の事務局長も務める。専攻は日本近代文学。

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