虐げられ、過酷な労働…「桜町遊郭」の実相 研究続ける女性

西日本新聞 筑後版 野村 大輔

 福岡県久留米市にかつて存在し、大正期に隆盛を極めた「桜町遊郭」の研究を続ける女性がいる。西南学院大非常勤講師の平川知佳さん(36)=同市在住。遊郭で使われた帳簿や当時の新聞記事を読み解き、虐げられた女性たちの実相を少しずつ解き明かしている。

 平川さんは学生時代から「性を巡る空間」をテーマに研究。約10年前に地元・久留米の遊郭について調べ始め、この研究で今年3月に博士号を取った。

 久留米市史によると、桜町遊郭は1896(明治29)年に県の営業許可を受け翌年、原古賀町に開業した。当初の店舗数は十数軒で働く女性は約90人だったが、日露戦争後に大きく発展し、1914(大正3)年には21軒、248人に膨れ上がったという。

 平川さんは、旧陸軍歩兵第48連隊が1897(明治30)年に国分村(現在の久留米市)に置かれたことを踏まえ「桜町遊郭は軍隊の設置とともにつくられ、軍都としての歩みを強めていくに従って繁栄した」と指摘。当時の新聞には軍人と娼妓(しょうぎ)のトラブルも散見される。

 桜町遊郭に関する資料は少ないが、遊郭の帳簿が久留米文化財収蔵館に残っている。「娼妓所得金日記帳」は、1916(大正5)年~30(昭和5)年に福寿楼で働いていた女性約20人の記録。平川さんが調べるまで「ほとんど研究されていなかった」(収蔵館)。

 帳簿には、一人一人の出身地、毎日の接客状況や稼ぎが記録されている。熊本県や山口県から来た女性もいることから、仲介業者の存在が読み取れるという。

 女性と経営者の取り分は半々で、毎月の食料代や利子を差し引くと、女性の手元に残る金はわずか。その金も前借金の返済に充てられたとみられる。「前借金を完済した女性は一人もいない」と平川さん。過酷な労働実態が浮かぶ。

 だが、「娼妓所得金日記帳」では桜町遊郭の明治期の状況や他店の様子は分からず、遊郭内の様子や女性たちの生活実態を知るすべもない。平川さんは、新たな資料や証言を探しながら研究を続ける考えだ。「久留米の近代化が進む中で、自らを犠牲にして懸命に生きた女性たちがいた。これまで語られてこなかった彼女たちの生きざまをきちんと検証していきたい」

(野村大輔)

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