地べたに並んだ重症者…原爆投下、線路づたいに見た惨状

西日本新聞 長崎・佐世保版 坪井 映里香

忘れぬ感覚 体験者の証言から(5)

 長崎市の医師、井石哲哉さん(88)の戦争や原爆の記憶として、鉄道施設に関する光景が際立って残っている。

 当時、瓊浦中(現長崎西高)の生徒だったが毎日、疎開先の長与町から列車で長崎駅に通い、学徒報国隊として魚雷などを貨物列車に積み込んだ。市内が空襲に見舞われた翌日、駅舎には市民の遺体を載せたトラックが着くこともあった。

 そして8月9日。朝の空襲警報で、いつもは長崎駅に着いているはずの井石さんらを乗せた列車は長与駅に止まっていた。午前11時2分、爆弾が落下する音とともに閃光(せんこう)が。爆心地から7キロの距離だが食べていた弁当は吹っ飛び、車外に逃げた。長与駅が爆撃されたのかと思ったが、長崎市方面の空に上がる雲を見た。

 次の日、同級生の安否確認のため友人らと線路づたいに歩き長崎を目指した。地べたに並べられた重傷者、手足の切断や頭が割れて息絶える直前の人…。多くの遺体も目撃した。「最初は普通の遺体だったが爆心地に近づくにつれ、顔も分からない黒焦げの遺体が増えていった」

 爆心地近くに着いた時、がれきを踏んだはずが、ずぶっという感触がした。見るとがれきの下には炭化した遺体。全身が凍り付き、恐怖と犠牲者への申し訳なさでいっぱいに。なお瓊浦中に行こうとすると、居合わせた憲兵に「この先に生き残った者は1人もいない。立ち去れ」と怒られた。今は憲兵に感謝している。

 井石さんは戦後に医師となった。被爆者医療に携わり、被爆者の染色体や遺伝子の研究を進めた。医師として、一市民として、核廃絶を今も願い続ける。

 同時に、75年間の長崎の変貌に驚かされる。原爆で全焼した長崎駅舎は再建され、さらに今年3月には新駅に建て変わった。鉄道もかつて歩いた線路とは別に2022年度には新幹線が走る。よくぞここまでとの感慨の一方で、井石さんはこうも話す。「戦争が起きれば(街の形など)多くを変えてしまう。惜しいですよ」 (坪井映里香)

 =おわり

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