大河再開に名著を読む

西日本新聞 上別府 保慶

 今や戦国時代の研究や、ドラマの考証には欠かせないイエズス会宣教師のルイス・フロイスが残した「日本史」。この大著はフロイスが口之津(長崎県南島原市)にいたころ、ザビエル以来の布教の歩みを記すよう命じられて書き始めた。

 和紙に墨でつづり、十数年の月日を費やして完成。フロイスは原稿をローマ教皇へ届けたいと願うが、上司のヴァリニャーノは自分の忙しさと、記述が「冗漫に過ぎる」のを理由に、短く書き直すよう命じて許さなかった。いつの世も組織社会にはパワハラがある。

 フロイスは豊臣秀吉が博多で発したバテレン追放令などによって布教に逆風が吹きすさぶ中、1597年、絶望のうちに65歳で世を去る。「日本史」はマカオの書庫に埋もれ、1835年の火災で焼失した。

 幸い写本があった。しかし欧州各地に分散し、振り返る者はいない。それを京都外国語大の松田毅一氏と川崎桃太氏の研究者コンビ(後にいずれも同大名誉教授)が苦心の末にこれを拾い集めて完全訳に取り組み、1977年からその膨大な量の刊行を始めた。

 両氏はこれに先立つ73年と74年、一般の関心が高そうな部分を選び取って翻訳した2冊を世に出した。中公新書の「回想の織田信長」と「秀吉と文禄の役」。専門家は無論、歴史好きの中高生もむさぼり読んだ。

 戦国期の史料に、信長の素顔を記したものは数少なかった。その姿を直接見た記録は公家や僧侶の日記にしかなく、断片的だった。フロイスは信長や秀吉に直接会っただけでなく、天性の観察眼でその様子を活写した。「回想の織田信長」からそんな対話のくだり。

 「信長は、司祭がヨーロッパから日本に来るのに、どのような旅をしたかを地球儀によって示すことを希望した。彼はそれを見聞した後、手をたたいて感心し、驚嘆の色を見せ(中略)司祭と修道士に向かい、笑いながら、貴公らはかくも危険を冒し、遠く長い海を渡って来たからには、その説くことは重大事に違いない、と語った…」

 コロナ禍で中断した大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の放映が再開した。フロイスの「日本史」の翻訳はこれまでに数多くの戦国ドラマに影響を与えてきた。今年3月に「回想の織田信長」が中公文庫から再び出されたのも当然のことと思う。

 ページをめくると、信長と明智光秀の複雑な関係や本能寺の変の様子、混乱の京都を逃れた宣教師たちが盗賊に捕らわれ窮地を脱した逸話などが。フロイスの筆は決して冗漫ではない。

 追記。フロイス「日本史」の完全訳を果たした功労者の松田氏は97年に76歳で死去。川崎氏もまた、昨年に104歳で世を去った。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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