【動画あり】サザエさん、音二郎…福岡銅像巡り あの君主はどこ?

西日本新聞 上野 和重

 前任地の鹿児島市で福岡の人から「銅像が多かですね~」と言われたことがある。確かに西郷隆盛をはじめ大久保利通、五代友厚と、明治維新をリードした先人の姿があちこちで見られる。では福岡市はどうかと、主なものを訪ねてみた。すると気付いた、あの人たちがいないことに…。

 「福岡市 銅像」とインターネットで検索すると、まず東公園(博多区)の亀山上皇像がヒットした。福岡にゆかりがあるのか不思議に思ったが、13世紀の元寇(げんこう)に際し、伊勢神宮に敵国降伏を祈ったのだという。欧米列強がアジアに進出した明治期、護国思想高揚のための記念碑建設運動が起こり、全国から集まった寄付で1904年に建立された。同年、同じ園内に元軍襲来を警告した日蓮上人像も完成。二つともかなりの大きさだ。

 日蓮上人像の近くに軍人の胸像を見つけた。日露戦争時の連合艦隊司令長官、東郷平八郎だ。その銅像は出身地の鹿児島市にもある。日本を勝利に導いた日本海海戦後、博多に寄港、二つの銅像を拝んだ。有志が偉功をたたえ、35年に建立したという。

 西公園(中央区)には平野国臣像がある。幕末に討幕を唱え、福岡藩を脱藩した勤王の志士。西郷隆盛と行動を共にし「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」の歌を詠んだ。15年に建立され、戦時中の金属拠出で取り壊されたが、64年に再建された。

 平野を支援した歌人の野村望東尼(ぼうとうに)。高杉晋作らをかくまった平尾山荘(中央区)は保存され、そこに胸像がある。68年建立。毎年市民団体が年忌祭を開くほど慕われている。

 この他、江戸時代に健康指南書「養生訓」を著した貝原益軒(中央区・金龍寺)や「オッペケペー節」で知られる演劇人、川上音二郎(博多区・博多川端商店街)。戦時中に東条英機内閣に抵抗した中野正剛(中央区・鳥飼八幡宮)、福岡県出身の初の首相広田弘毅や元福岡市長の進藤一馬(共に中央区・市美術館)ら政治家の銅像もあった。2017年建立のサザエさんと作者の長谷川町子さん(早良区・西南学院大図書館前)は市内の最新作のようだ。

福岡を隔てた商人と武士の間の〝壁〟

 市内各地を回り、あることに気付いた。江戸時代に200年以上にわたって福岡を治めた黒田家当主の立ち姿の銅像がないのだ。

 NHK大河ドラマにも描かれた黒田官兵衛(如水)や息子長政の活躍は広く全国に知られる。鹿児島の島津義弘、熊本の加藤清正、大分の大友宗麟のように、威厳を放つ立像があってもおかしくない。

 JR博多駅前広場に武士の銅像があるが、これは家来の母里太兵衛。民謡「黒田節」のモデルで、官兵衛親子を祭る光雲(てるも)神社(中央区)にもある。前述の平野や貝原も黒田家家臣だ。市内では、殿様よりも目立っているのは面白いところだ。

 長政に関しては愛用した「水牛の兜(かぶと)」の像が光雲神社にあった。官兵衛は市総合図書館(早良区)で胸像を見つけた。2007年に福岡桜ライオンズクラブが寄贈した。福岡城築城400年を記念したもので、それまでに官兵衛像があった記録は見つからない。

 “冷遇”の理由は何か。福岡市の歴史小説家、筑前筑後さんは幕末の1865年に起きた、福岡藩主黒田長溥(ながひろ)が藩の勤王派「筑前勤王党」を弾圧した「乙丑(いっちゅう)の獄」が影響していると指摘する。筑前さんは「福岡の有力者は、筑前勤王党の流れをくむ人が多い。その人たちの先輩を殺害した黒田家ということが影響しているのではないか」と語る。

 郷土史に詳しい別の男性(63)は「かつて商人のまち博多と武士のまち福岡を隔てる『桝(ます)形門』があった。博多商人が、外様大名の黒田を受け入れられなかったということかもしれない」と推測する。

 今でも全国各地から銅像建立のニュースは届く。福岡市で次に立つ銅像は誰のものだろうか。(上野和重)

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