あの日、何を報じたか1945/9/6【大東亜戦争・わが尊き犠牲 戦死者五十一万 玉砕二十万、特攻隊二千】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈政府は五日の議会に大東亜戦争中陸海軍関係損耗表をそれぞれ参考資料として提出、開戦以来、終戦に至るまでの戦没者総数を明らかにした〉

 この日の1面は大部分を割いて終戦後初の臨時国会で東久邇宮稔彦王首相が行った施政方針演説を詳報した。見出しで紹介すると〈戦力は逐次低下 勝利の確信根拠を失う〉〈国力も急速に消耗〉〈海空勢力の損耗甚大〉〈前線部隊の帰還は相当の年月を要す〉〈食糧対策は多難〉など率直なものだった。

 これに合わせて公表された参考資料について、本紙は2面の大部分を割いてこれも詳報。51万人という数字は現在、厚生労働省が日中戦争から太平洋戦争までの軍人・軍属の戦没者として追悼対象にしている「230万人」と開きがある。

 9月6日の記事では、陸軍と海軍がそれぞれ数字を発表。陸軍が〈戦死者数は三十一万、戦病死四万、計三十五万〉という概数を示したのに対し、海軍は〈軍属を含めて八月二十八日現在の戦没者十五万七千三百二十一、所在不明者千四百三十、合計十五万八千七百五十一〉と細かく挙げて、さらに階級別の死者数も示した。

 また、艦船の被害についても報告があり、〈艦隊の中心勢力であった空母は開戦当時十隻、開戦後十五隻をこれに加え二十五隻となったが、この間十九隻を消耗して六隻を残し、しかもそのうち航行可能なものはわずか二隻にとどまったことを知る〉と伝えた。

 記事はさらに戦艦と空母について開戦時と終戦時の保有状況を比較。記事をこう締めくくった。

 〈わが艦隊の主勢力は甚大な損害を被っているが、これは主として昭和十七年五月七、八両日の珊瑚海、同六月五日のミッドウェー、同八月二十四日の第二次ソロモン、昭和十九年六月十九日のマリアナ、同十月二十五日の比島沖および本年沖縄島周辺の各海戦において被ったものであることを忘れてはならない〉(福間慎一)

   ◇    ◇

 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

PR

社会 アクセスランキング

PR

注目のテーマ