あの日、何を報じたか1945/9/8【福岡の戦災跡に地蔵尊 郷土に捧げる光安画伯の悲願】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈今次戦争で不幸爆撃の犠牲となり、非命に倒れた郷土の人々の菩提(ぼだい)を弔い、抜苦興福の祈りを捧げようと、福岡市の戦災地跡に地蔵菩薩建立の計画が郷土出身の文展無鑑査洋画家、光安浩行氏(太平洋美術学校教授)の発起で進められている〉

 6月19日の福岡大空襲の死傷者は2000人超とされているが、正確な数字はわからない。大部分が焼け野原となった福岡市の中心部に、犠牲者のための地蔵を建立する動きは終戦後まもなく始まっていた。地蔵尊の制作には彫刻家の冨永朝堂氏が当たったと記録されている。

 光安浩行氏は福岡市出身の画家で、2年後の1947年に創設される具象絵画団体「示現会」の創立会員の1人。記事は〈地蔵尊には、われわれにとって忘れることのできない「戦災の日」をしのばせる荒涼たる市内の風景をはじめ悲願を込めた絵馬が奉納され、記念画として永久に残ることになっている〉

 記事には、光安氏がスケッチをしている写真が添えられている。〈光安氏は目下、市内土居町住友銀行屋上で博多付近の戦災地を十二号のカンバスにスケッチ中で、疎開先早良郡脇山村内野西古賀で仕上げに取りかかる〉という。

 記事の最後ではこう語っている。

 〈福岡は私の郷土であり一日も早く復興することを念願していますが、戦災死を遂げられた気の毒な人々の冥福を祈りたいと、今回計画を思い立ちました〉

 光安氏は郷土の画家として日展特選を受賞するなど活躍し、1970年に死去した。(福間慎一)

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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