人はいつ死ぬのか【坊さんのナムい話・18】

西日本新聞 くらし面

 あるアーティストがSNS(会員制交流サイト)で「ハゲそのものが格好悪いのではなく、ハゲた自分を受け入れられない人が格好悪い」と言っていました。そして芸能人やアーティストだからハゲるのが許されないのは不自由だ、とも。確かにお釈迦(しゃか)様も諸行無常と言われています。変化を受け入れず過去に執着するのもまた煩悩の一つです。

 さて、私たちが死ぬ時っていつでしょうか? 心臓が止まった時? 脳が考えられなくなった時? それともお医者様が「〇時〇分です」と言われた時でしょうか。意見が分かれるところだと思いますが、私は「死は瞬間ではなく続くもの」だと捉えています。

 例えば、若い頃は当たり前のように走っていましたが、今は無理です。最後に全力疾走したのはいつだったかも忘れました。昔はたやすく走れていたのに今はできない。これは「走る」という体に備わった機能が死んだと理解できないでしょうか。年を重ねるにつれ、さまざまなものが死んでいきます。近くの文字を見る機能が死ぬのが老眼、聞き取る機能が死ぬのが加齢性難聴。歩く機能が死んで歩行困難になり、最期には心臓を動かす機能が死んで心停止する。つまりハゲとは、髪が生える機能が死んだ状態です。

 これは体の機能にとどまらず、存在や思いなど私たちに関わること全てに当てはまります。私たちはある日、突然死ぬのではなく、毎日少しずつ死んでいるのではないでしょうか。反対に生まれるものもあるので、私の中では生と死が同時に起きている。死ぬことより生まれることが多い状態を「成長」といい、生より死が多い状態を「老い」と呼ぶ。つまり、「生きることとは死に続けること」だと言えないでしょうか。

 死は変化の一つです。私たちは毎日死んでいると考えるならば、私たちは日々変化の連続の中で生きているといえます。変化を過剰に恐れず、変化することは当然と受け入れ、柔軟な心で過ごす。この柔軟な心は大きな変化を迎える上で私たちに心の自由と余裕を与えてくれます。最後に孫正義氏のツイッターでの発言を。「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである」

(永明寺住職・松崎智海 北九州市)

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