【動画あり】平和台を創った「岡部平太」感動の人生、13日から上演

西日本新聞 もっと九州面 田中 耕 加茂川 雅仁

 明治-昭和に活躍した日本スポーツの先駆者、岡部平太(1891~1966)=福岡県糸島市出身=を主人公にした演劇「Peace Hill 天狗(てんぐ)と呼ばれた男 岡部平太物語」が13日を皮切りに、福岡県内3カ所で上演される。福岡市内の人気劇団「ギンギラ太陽’s」と「劇団ショーマンシップ」の合同公演。戦争と向き合い、波瀾(はらん)万丈の人生を送った岡部の時代と、新型コロナウイルス禍にある現代を重ね合わせ「生きる意味」を問い掛ける。

 戦前の満州でスポーツを通じて日中の融和に尽くしながらも、戦争で挫折した岡部。舞台は、そんな岡部が戦後、郷里の福岡でスポーツの聖地「平和台」を創設するシーンから始まる。

 「戦争は終わった。だが苦しい時代は続く!」

 岡部が言葉を発すると、劇団員が続ける。

 「不安におびえながら息を潜め」「眠れぬ夜明けを迎え」「学校にも仕事にも行くことができず」「ただただ、じっと耐えてきた」

 岡部「ただただ、生きるために耐えてきた!」

 全員「生きるために耐えてきた!」

 岡部「さあ進もう」

 全員「進もう!」

GHQから土地を取り戻し「平和台」と命名

 特攻隊員だった一人息子を失った岡部は、1948(昭和23)年の福岡国体の開催に向け、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されていた丘陵地を取り戻し「平和台」と命名した。西鉄ライオンズの本拠地だった平和台野球場や、現在の平和台陸上競技場は、岡部なくして存在しなかった。

 岡部はGHQに対して「もう戦争は終わった。ここをスポーツの『Peace Hill』にしたい」と折衝を重ねたという。平和台という名前は、岡部が不戦の誓いと息子への鎮魂を込めたものだった。

 脚本を書いたのは「ギンギラ太陽’s」主宰の大塚ムネトさん(55)。原作の小説(橘京平著、幻冬舎刊)を読んだ大塚さんは当初、東京オリンピックと戦後75年を迎える今夏に向けた上演を考えた。合同公演の誘いを受けた「劇団ショーマンシップ」座長の仲谷一志さん(55)も快諾。仲谷さんは柔道の心得もあり、柔道8段の岡部を演じることになった。

 しかし、そこに突然、コロナが襲いかかってきた。当初は7月から9月にかけて上演するはずだったが、延期を余儀なくされる。

 「頭が真っ白になった。公演ができなくなるかもと思うと、脚本を書くのが怖くなった」

 落ち込んだ大塚さんは、ひたすら巣ごもり生活。仲谷さんは金策に駆け回りながら「俺が何とかして公演を実現させるから大丈夫だ」と励まし続けた。緊急事態宣言が解除され、ようやく光が見え始めた6月初旬、2人は入念に感染対策をした上で、上演に向けて動くことを決意した。

コロナ禍で脚本を大幅に書き換えた

 稽古初日を迎えたのは6月26日。4カ月ぶりに会う劇団員たちは、全員マスクとフェイスガードを着けていた。2人は言葉を詰まらせながら語り掛けた。

 「みんなと会えて稽古ができることを幸せに思う。日々やれることをやって、舞台を実現させよう」

 コロナ禍によって、大塚さんは脚本を大幅に書き換えた。

 「戦争という苦難には及ばないが、今の僕らもやりたいことができないという点では同じ。でも、岡部は踏ん張った。そこに、今、岡部を演じる価値がある」

 冒頭のシーンは、こう続く。

 岡部「もう今までとは違うかもしれない。まだ苦しいことが続くかもしれない。それでも前を向いて!」

 全員「前を向いて!」

 岡部「お互い励まし合いながら」

 全員「お互い励まし合いながら」

 岡部「さあ、一緒に進もう!」

 全員「さあ、一緒に!」

 (田中耕、加茂川雅仁)

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