「痛み」をつなぐ覚悟 帖地洸平

西日本新聞 オピニオン面 帖地 洸平

 「そんな昔話を今更されても…」

 戦争体験を語り続ける坂口フミ子さん(88)=宮崎県都城市=は以前、講演先で来場者からこんなことを言われた。いろんな見方、考え方があるのは分かっている。けれども、思いがけない一言に「ショックを受けた」という。

 坂口さんは1945年8月6日の都城大空襲で米軍の機銃掃射を受け、一緒にいた5歳の弟と、自身の右手を失った。

 今は穏やかな日常を過ごしている。日々の炊事も、体験談を原稿用紙にまとめる時も左手と義手の右手で巧みにこなす。ファインダーに写るその姿から、戦争に苦しめられた長い人生が浮かび上がった。7月下旬、本紙の写真企画に登場してもらったのは、坂口さんのそんな終わらない「痛み」を感じてほしいと思ったからだ。

 坂口さんと共に銃撃現場を歩いた。当時田畑が広がっていた所は、車や人が盛んに行き交う住宅地に変わっていた。子どもたちの笑い声が響くこの場所で、13歳の女の子が味わった恐怖を想像するのは難しかった。

 戦後75年。日本では平和が当たり前に映る。坂口さんはあの言葉を思い出しながら「もう戦争の話は聞きたくないってことなのかねぇ。それが健全な時の流れなのかも…」と寂しそうにつぶやいた。

 戦争の記憶が社会から薄れれば、同じ過ちが繰り返される。自分と同じつらい思いは、誰にも二度としてほしくない。「私の戦争体験も単なる昔話にすぎないのかもしれない。でも話さないといけない」。語り部としての覚悟が失われることはない。

 年を追うごとに戦争の体験談を聞く機会は減るのだろう。だが、インターネットの会員制交流サイト(SNS)やデジタル技術を駆使した映像など記憶を継承するための新たな試みも出てきている。それでも活動の原点にあるのは、戦争を直接知る人たちの存在だ。

 「平和は弱く、壊れやすい。当たり前に存在する今だからこそ、若い人の関心、発言、行動がより重要になる」。戦時中の品々に焦点を当てた連載企画の取材で訪ねた碓井(うすい)平和祈念館(福岡県嘉麻市)の学芸員、青山英子さん(62)は強調する。

 75年前の「痛み」をどう語り継ぐのか。次世代に生きる者として私自身も今、問われている。坂口さんの体験を「昔話」にしてはならない。

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 ちょうじ・こうへい 福岡市出身。2015年入社。長崎総局などを経て、写真デザイン部写真グループ。27歳。

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