「音筆」に耳を澄ませば 井上裕之

西日本新聞 井上 裕之

 ペンの力を引き立てる「ペン」がある。これを握ると、筆者と読者の距離は縮まり、過去と現在がつながる-。

 「音筆(おんぴつ)」。万年筆を太くした形状の電子ペンだ。東京・国立(くにたち)市の旧国立駅舎(市民開放施設)で開かれた「『私の八月十五日』パネル展」で、なるほど、と思わされた。

 終戦の日をどこでどう迎えたか。戦争世代の著名人の手記や絵が並び、紙に音筆を当てると、本人が手記を朗読する声が聞こえてきた。音声の蓄積・再生機能を備え、一般には学習教材に使われる音筆を生かした展示だった。

 声の主は瀬戸内寂聴、黒柳徹子、林家木久扇、日野原重明、高倉健の各氏ら故人を含む約40人。敗戦の悔しさ、安堵(あんど)感、先行きへの言い知れぬ不安…。75年前の記憶は肉声を重ねることで厚みを増し、心に深く伝わってきた。

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 「私の八月十五日」は国立市の出版社「今人(いまじん)舎」が編集・発行する戦争証言集だ。漫画家の森田拳次さんらが過去に出版した終戦時の様子を伝える絵手紙集を復刊・継承し、今夏までに220人の手記と絵を掲載したシリーズ8冊を刊行。同時に筆者の声を収録する活動も続けている。

 同社の中嶋舞子社長(41)によると、毎回赤字続き。声は社員が各地を訪ねて集めるなど苦労が多い。しかし、風化が進む記憶を後世に伝えていく営みに「やりがいも感じる。自分自身も歴史を学ぶ大切さを教えられた」という。

 音声は筆者から無償で提供してもらっている。そのため音筆は非売品とし、全国の図書館や博物館などに証言集とセットで寄贈している。今回のパネル展は、そうした取り組みの一端を直接市民に知ってもらう初の試みだった。

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 音筆に耳を傾けた市民は8月下旬までの約1カ月の会期中、約3千人に上った。高齢者に加え、学生や親子連れなど若い世代の姿も目立ち、反響は予想以上だったという。

 日常的にペンを握る記者の姿勢を問われた気もした。地道に取材を重ね、深みのある記事を書いているか。音筆を使う以前の問題として-。

 今はICレコーダーで「メモ」を取り、パソコンで原稿を書くのが主流だ。昔はあって当然だった手の指のペンだこも消えつつある。加えて言えば耳にたこができるほど後輩に説教する記者も少数派に。時代の流れとはいえ、記事の質が劣化していないか、省みるよう促された夏だった。

 戦争証言集「私の八月十五日」に関する問い合わせは今人舎=042(575)8888=へ。 (特別論説委員)

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