名護屋城跡、認知度に課題 魅力発信へ模索続く

西日本新聞 佐賀版 津留 恒星

「建物」の存在が明暗分ける?

 16世紀後半の朝鮮出兵の拠点として、豊臣秀吉が佐賀県唐津市鎮西町に築いた名護屋城。徳川家康や伊達政宗など150以上の大名が参陣した歴史があり、城跡と一部の陣跡は国特別史跡に指定されている。ただ、「認知度が課題」と指摘されることも多い。その背景を探った。

 8月下旬の平日昼。名護屋城跡を訪れると、資料を手に歩く観光客がちらほら。東京から訪れた50代女性は「名だたる大名が集ったなんて、すごい場所」と驚いた表情で語った。観光で唐津を訪れて知り、初めて立ち寄ったという。

 名護屋城は当時、大坂城に次ぐ規模を誇ったとされる。現在、城跡には往時の姿を伝える石垣が残り、周囲には約150もの陣跡が確認されている。建物は一切ないが、日本の歴史上、類を見ない遺跡だ。

 珍しさが光る一方で認知度には疑問が残る。現地でガイドを務める女性(42)は「呼子でイカを食べる待ち時間に寄り、初めて歴史を知る観光客も多い。全国の有名な城跡に引けを取らない価値があるのに…」と首をかしげる。

 日本城郭協会によると、全国には2万~5万の城跡があるという。文化庁のまとめでは特別史跡に指定されている城跡は15カ所のみ。そのうち、秀吉に関係する大坂城跡と名護屋城跡で昨年度の来場者数を比較すると、大阪城天守閣を訪れた人は約218万人だったのに対し、名護屋城跡は約5万4千人。差は歴然だ。

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 「建物がないばっかりに目が行き届かないのでは」。現地でガイド活動などに取り組む市民団体「肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会」の事務局長(63)は、注目度に差が生じる一因をそう分析する。

 確かに、市中心部の唐津城は1966年に天守閣が造られ、観光地として定着。名護屋城跡よりも評価は劣るが、毎年度10万人以上が訪れる。「城がないと存在感に欠ける」と事務局長。だが実は、過去に「名護屋城天守閣復元計画」があったという。

 旧鎮西町の役場に勤めた男性(80)によると、56年に発足した町の初代町長、名古屋経一氏が旗振り役を担った。名古屋氏は「農漁業中心の町の発展には整備が必要」などと訴え、識者と協力して設計図を作成。62年に県教育委員会を通して国に復元許可を申請したという。

 結果、天守閣の存在を示す確かな証拠がないとして許可は下りなかった。しかし、男性は別の理由もあったと考える。「国や県の役人が『歴史的な背景もあり難しい』と言っていた。あの時代、朝鮮侵略を掲げた拠点を盛り上げることはできなかったのだろう」。実際、町には計画に反対の声が多数寄せられたという。「時代に阻まれた」

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 五層七階の天守閣の存在は後に広く知られた。現在はバーチャルリアリティー(VR)映像で往時の名護屋城を体感しながら城跡巡りを楽しめる。それでも、近年は来場者数が伸び悩んでいる。

 市は4月、知名度アップに向け情報発信などを行う「肥前名護屋城室」を設置。動画投稿サイトユーチューブ」を活用し、秀吉に扮(ふん)した職員が城跡の歴史をシリーズで配信する活動を7月に始めた。県も本年度、城跡と陣跡の活用を目指すプロジェクトを始動させ、本腰を入れた。

 市民も模索する。ツーリズム協議会は、短時間でも観光客が城跡巡りを楽しめるガイドコースを検討中。別の市民団体は「名護屋城検定」を設けて人々の関心を上げる構想を描く。

 8月22日、名護屋城跡に関するイベント発表会に出席した山口祥義知事は「今は未完の大器だが、見えない価値を強みにし、名護屋城の時代が来るよう力を入れていく」と意気込んだ。

 変化の可能性を秘める名護屋城跡。かつて全国の大名たちが集ったように、歴史ファンや観光客でにぎわう“聖地”になれるか。 (津留恒星)

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