9月17日のヒロシマ 小出浩樹

西日本新聞

 広島市は川の街である。背後に迫る山々から広島湾に注ぐ流れが、三角州をつくる。遊覧船が行き来し、山と海に挟まれた緑深い街並みを、水上から楽しめる。

 川は、JR広島駅から西へ数キロも歩くうちに6本を数える。1級水系、太田川の本流と分流である。かつて大規模な氾濫を起こし、濁流が市街地をのみ込んだ。1945年9月17日、原爆投下からわずか42日後の出来事だ。

 昭和三大台風の一つ、枕崎台風に襲われた。鹿児島県枕崎町(現枕崎市)付近に上陸したことから命名された。気圧は当時の観測法で上陸時916ヘクトパスカルに下がっていた。

 暴風はその日のうちに広島に達し、太田川流域で多くの堤防が決壊した。その後列島を縦断し、3756人の命を奪った。このうち2012人が広島県内の犠牲者だ。

 ノンフィクションライター柳田邦男氏の著書「空白の天気図」(1975年初刊、2011年復刊)に、その史実を教わった。

 被害の甚大さに比べて残る記録は乏しい。今に至るまで原爆被害の壮絶さの陰に隠れている。NHK記者になった60年から3年余、ヒロシマで過ごした柳田氏も、この台風被害は東京転勤後、災害担当になって知ったという。

 1度の台風で2千人以上が亡くなるのは尋常ではない。被爆で防災機関は壊滅した上、瀕死(ひんし)の人々が建物の外観さえ残さない病院や自宅で暴風雨に遭い、被害は拡大した。

 その中には、原爆投下後に降った「黒い雨」を浴び、下痢などの毒性作用に苦しむ人もいた。放射性物質を含むその雨は、原爆雲から変わった積乱雲がもたらした。広島平和記念資料館に足を運ぶと、黒い斑点を残すセーラー服やリュックサックが、惨状を語り掛ける。

 ところで柳田氏が広島をこう評している。<不思議な力を持つ街である。ジャーナリストが一度そこに足を踏み入れると、その街のために何かを書かなければならないという責任感の虜(とりこ)になる>

 初任地は、どんな職種であれ、多くの人にとって思いが深い場所だ。しかし、確かに原爆という悲劇がより人々の心を捉えるとしても、歴史遺産など広島にはそれだけではない磁力がある、と思う。長崎も似ている。

 被爆と枕崎台風から75年。7月の豪雨で、九州では球磨川や筑後川が氾濫した。私も、その取材中に太田川のことを知り、引き寄せられた。

 原爆投下の目標は太田川分流に架かる相生(あいおい)橋だったという。「水の都」の数奇な偶然である。 (特別論説委員)

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