冷気追い打ち、銃まで燃やす サラワケット越え記す「ラエの石」

西日本新聞 文化面

ニューギニア戦記を追う<3>

 前回取り上げた飯塚栄地氏が経験した潜水艦でのラエ脱出は言うまでもなく稀なケースである。ラエ・サラモア地区で戦った将兵は、最終的に東西から敵の圧迫を受けてフォン半島の付け根を北へ脱出することになる。約八五○○名のうち約一一○○名が戦没したとされる「サラワケット越え」である。

 本書「ラエの石」は、飯塚氏と同じく昭和十八年一月にラエに上陸した佐藤弘正氏の回想記である。副題を「陸軍高射砲隊 一兵士のニューギニア戦記」という。サラモアでの布陣や対空戦闘等に続いてサラワケット越えが書かれている。

 その分量は実に全体の三分の一近くになる。海抜四千メートル級の山系を越えてフォン半島北岸キアリに至る転進は、それほどに過酷だったのである。本文には行程二百キロと記されているものの、実行程四百キロと書かれた地図も別に添えられている。戦史叢書(そうしょ)の記述からしても正しいのは後者である。キアリ到着の早かった部隊でも踏破には三週間かかっているし、佐藤氏の高射砲隊などは行程半ばの山系鞍部までに三週間を要している。むろん砲などを捨てた上でのことである。

 いずれにせよ、戦い疲れ、飢え、病んだ将兵には気の遠くなるような距離だった。標高による冷気と氷雨が追い打ちをかけ、佐藤氏は途中で銃を燃やしている。当時の軍隊における銃の位置づけを考えれば、精神的にも肉体的にも限界を超えていたと考えて間違いない。頭も朦朧(もうろう)としていたらしく、この頃なにを食べていたのか「いま考えてみても定かではない」とある。米は一日五勺(しゃく)に抑えられており、それだけで体が保つはずはない。トカゲやヘビは見当たらず、とにかく食えそうな植物ばかりを口に入れていたらしい。「大便は完全に青い草の色」でまったく臭気がなかったという。

 隊から落伍(らくご)しつつも佐藤氏はキアリにたどり着く。日付は分からない。ラエ出発の日付も本書には書かれていない。終戦から五十年の年に出版された本である。内容には明らかな誤りも見られ、時期や時間がときに前後し、どうかすると飛んでいる。サラワケット山系を越えたあと高射砲隊は多くの部隊と同様マダンを経由してウエワクへと転進するが、このマダン・ウエワク間の数百キロの移動もまったく思い出せないと佐藤氏は正直に書いている。

 戦記・記録としては心許(こころもと)ない。しかしそこには回想というものの実態があり、個人的には非常に印象的な一冊である。

 古処誠二(こどころ・せいじ) 作家。1970年生まれ。福岡県久留米市在住。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年にメフィスト賞を受けデビュー。10年に「わたくし、つまりNobody賞」、17年に「いくさの底」で毎日出版文化賞、翌年日本推理作家協会賞。近著に「ビルマに見た夢」。これまでに3度の直木賞候補。

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