豪雨や絶壁…命削ったガリ転進 苦しみ記す「東部ニューギニア戦線」

西日本新聞 文化面

ニューギニア戦記を追う<4>

 第二十師団に属していた尾川正二氏の著作である。第二十師団は第五十一師団等の将兵がサラワケット越えの転進をしている間フォン半島のフィンシハーフェンを巡って戦いを繰り広げている。戦後の資料をもって東部ニューギニア戦の全容を押さえつつ、戦火の中で苦しむ尾川氏自身と第二十師団が本書には書かれている。副題は「棄(す)てられた部隊」である。

 フィンシハーフェンにおける日本軍の戦いは、ニューギニア各地で見られたそれの典型と言えるだろう。すなわち「敵を撃滅するために機動し、自然環境と補給難と敵火力に苦しんだあげく敗れ、落伍(らくご)者を出しながらの転進へ追い込まれる」のである。当時、とりわけニューギニアでさかんに使われた「機動」という言葉は、機械力をもっての移動を指すのではない。ろくな道もない地を将兵は常に歩いた。会敵のための機動だけで疲労困憊(こんぱい)し、多くの場合そのまま戦闘に突入する。敗北後の転進では目を覆いたくなるような惨状が広がる。尾川氏は「ガリ転進」と呼ばれるフィニステル山系縦走の体験を詳しく書いている。

 フィンシハーフェン地区から撤退した第二十師団もサラワケット越えをした第五十一師団も北岸沿いを西へ転進する他なかった。しかしグンビ岬に上陸した連合軍に行く手を阻まれる形となり、将兵は大きく迂回(うかい)を強いられる。ガリは、そのおおよその起点となった場所である。尾川氏はガリ転進の始まりを次のように書いている。

 ――海岸線を伝って西に向かっていた行軍の列が、左に転じた。海を背にし、山に向かったのである。(中略)これが三月にわたる大転進になろうとは、思ってもみなかったことである。

 敵を迂回する転進に三カ月もかかる状況ではもはや戦争にならない。マラリアなどの病気は言うにおよばず、豪雨や絶壁といった自然の障害が将兵の心と命を削り続けた。山系の道はどこも険しく、進むほどに先行部隊の行き倒れが増えていく。通過する村落はことごとく荒らされ、屍臭に覆われ、糞便(ふんべん)が転がっていた。それでも将兵は家屋や芋畑などを頼るしかなかった。まともでいられるほうがおかしいのではなかろうか。尾川氏は発狂者を複数見ている。「この山越えに、行方知れずになったもの、約四千名という」と本書にはある。

 同じく三カ月にわたったフィンシハーフェンの戦いで第二十師団が出した犠牲が約五千五百名であることを思うと、本書を読んだ誰もがやりきれないものを覚えるだろう。 

 古処誠二(こどころ・せいじ) 作家。1970年生まれ。福岡県久留米市在住。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年にメフィスト賞を受けデビュー。10年に「わたくし、つまりNobody賞」、17年に「いくさの底」で毎日出版文化賞、翌年日本推理作家協会賞。近著に「ビルマに見た夢」。これまでに3度の直木賞候補。

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