初任務は難工事 エリート軍人が記す「ニューギニア砲兵隊戦記」

西日本新聞 文化面

ニューギニア戦記を追う<6>

 第二十師団の野砲兵第二十六連隊で第三中隊長を務めた大畠正彦氏の著作である。野砲兵とはいえ昭和十七年十一月に山砲編制に変わっており、タイトルに「砲兵隊」とあるのはそうした事情からと考えられる。

 食糧や病気や転進に関する話は他書に譲る。ニューギニアに送られた野砲兵とその戦闘が本書には詳しく記されている。戦闘場面がプロローグから書かれているのだが、砲撃を求める第一線とのやりとりや、敵前の将兵が距離と間隔を過大に見誤る事例などいろいろと興味深い。射撃に際しては「砲の安定」「砲手の練度」「天候気象」といった要素と並んで「戦場心理」が誤差に加味されていたという。これは士官学校や砲工学校の射撃学で教えていたことであったらしい。大畠氏は士官学校を出たエリートである。

 歓喜嶺と呼ばれたフィニステル山系西部の分水嶺(れい)における戦いに本書の記述重点は置かれている。しかし大畠氏に与えられたニューギニアでの事実上の初任務は道路構築だった。それは、ラエ・サラモア地区を支えるために急ピッチで進められていた難工事である。敵機がおよばぬ後方にしか輸送船をつけられない状況が招いた、現地将兵に対する恐るべき負担だった。

 努力も虚(むな)しくラエ・サラモア地区はやがて放棄される。道路構築予定ルートを逆にたどる形でオーストラリア軍が攻勢を取り、それが歓喜嶺一帯での戦闘を生じさせる。

 昭和十八年十月九日、歓喜嶺の南に進出したとき大畠氏は初めて敵兵を見ている。数千メートルの距離で多数が動いていたという。歓喜嶺の一帯を突破されればサラワケット山系越えの第五十一師団もフィンシハーフェンへ駆けつけている第二十師団主力も袋の鼠(ねずみ)になりかねない状況である。当時属していた中井支隊にあって大畠氏は翌年の一月下旬までこの地に踏みとどまることとなった。

 砲の類は所在を知られたとたん攻撃を受ける。制空権のない戦いでは敵の目をいかにくらませるかが重要である。従来は関心がなかったという偽陣地を大畠氏も使う。丸太を砲身に見せかけ、偽の砲煙を上げさせたことなどが書かれている。そうした努力もあって山砲は生存を続け、歓喜嶺の戦いで放った砲弾は四二六○発にも上ったという。構築中断の憂き目に遭った道路は砲弾の輸送には役立ったのである。

 射撃諸元の算出、各種書類の記入事項の違い、敵から得た地図の活用等々、実戦に裏付けられたエリートの記述はひたすら圧倒的である。 

 古処誠二(こどころ・せいじ) 作家。1970年生まれ。福岡県久留米市在住。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年にメフィスト賞を受けデビュー。10年に「わたくし、つまりNobody賞」、17年に「いくさの底」で毎日出版文化賞、翌年日本推理作家協会賞。近著に「ビルマに見た夢」。これまでに3度の直木賞候補。

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