重患の枕元に手榴弾 軍医が記す「海軍陸戦隊ジャングルに消ゆ」

西日本新聞 文化面

ニューギニア戦記を追う<7>

 海軍にも触れておきたいので本書を取り上げる。著者である渡辺哲夫氏の体験が前半に書かれ、ニューギニア戦の全体像が後半に書かれた戦記である。陸戦隊とはいうものの渡辺氏自身は軍医であり、本書のまえがきから要約抜粋すると「香港の陸上勤務、南太平洋での艦船勤務、ニューギニアの陸戦部隊と、それぞれまったく異なった部隊の中で過ごして」いる。

 昭和十七年十一月二十一日、公称六百トンの水雷艇「鵯(ひよどり)」に着任した渡辺氏はラエへ向かう。ブナ地区に戦域が移り、スタンレー作戦の南海支隊はすでに満身創痍(そうい)の頃である。東部ニューギニアには必死の補給と兵力増強が行われており、「鵯」に与えられた任務も輸送だった。甲板には食糧の詰まったドラム缶が多数結びつけられていたという。

 この任務における空襲で渡辺氏は負傷を負うが、「鵯」はB17を一機撃墜し落下傘降下した敵兵を救い上げている。にわかには信じがたいほどの戦果である。その後「鵯」はソロモン群島でも奇跡的な活躍を見せて有名になり、取材に訪れた作家の濱本浩氏は戦いぶりを朝日新聞に連載したとある。この辺りの記述は娯楽小説めいていてどこか痛快なのだが、渡辺氏は一年後に第八十二警備隊付を命じられてニューギニア本島における苦難の日々へ投げ込まれることになる。

 昭和十八年十二月、食糧二十トンを積んだ潜水艦に便乗してフォン半島北岸シオに上陸する。サラワケット越えの将兵が目指したキアリの東方二十キロの地であり、転進後の患者が送られもした地である。転属先の第八十二警備隊そのものが山越え転進でシオに集結し、静養再建中であったらしい。渡辺氏の転属はようするに再建の一環と思われる。「今までにない不潔感」「だれの顔も土色」と現地の様子が記されている。

 それから二週間と経たぬうちに第八十二警備隊はガリへ向けて転進する。目的は潜水艦補給基地を整備することにあったが、前述のとおり昭和十九年の年明け早々に連合軍がグンビ岬へ上陸する。潜水艦補給基地の整備どころかガリに留(とど)まることすらかなわず、第八十二警備隊を含む海軍部隊は陸軍部隊と同様フィニステル山系縦走へと追い込まれる。

 その開始に先だって渡辺氏は重患の枕元に手榴(りゅう)弾を置かねばならなかった。覚えた心痛が次のように表現されている。

 ――これが軍医のすることか。

 第八十二警備隊はフィニステル山系縦走後もマダン、ハンサ、ウエワク、カイリル島と転進を続ける。さながら渡辺氏は、これら大転進のために転属したような形である。

 古処誠二(こどころ・せいじ) 作家。1970年生まれ。福岡県久留米市在住。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年にメフィスト賞を受けデビュー。10年に「わたくし、つまりNobody賞」、17年に「いくさの底」で毎日出版文化賞、翌年日本推理作家協会賞。近著に「ビルマに見た夢」。これまでに3度の直木賞候補。

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