鳥や虫、人肉食まで…将兵が餓え惑い続けた戦地記す「ウエワク」

西日本新聞 文化面

ニューギニア戦記を追う<10>

 第二十七野戦貨物廠(しょう)に属していた針谷和男氏の著作である。部隊史を思わせる体裁と内容だが、代表的なニューギニア戦記等に裏付けを得つつまとめられた個人史である。連合軍の指令により記録を持ち帰れなかったため復員後の自宅療養中にメモを書き留めたという。先に紹介した「ニューギニア戦 追憶記」と似た経緯での発刊と言える。

 タイトルの「ウエワク」は第十八軍最大の拠点である。第十八軍とは本随筆で触れたニューギニア本島の三個師団を統帥した存在で、第二十七野戦貨物廠はその直轄部隊のひとつだった。軍作戦に必要な物資を保管・補給するのが任務である。補給途絶に至ったニューギニアで第二十七野戦貨物廠は将兵を支えるため奮闘することになる。

 本書によればウエワクに最後の輸送船が入ったのは昭和十九年三月十八日である。前述のとおり翌月にはアイタペ等に連合軍が上陸し、第十八軍は完全孤立に陥る。この時点でウエワク等に残されていた食糧は三千数百トンに過ぎず、二分の一定量でも当時の推定残存将兵五万四千名を二カ月ほどしか支えられない計算だった。真偽はともかく、七月に決行されたアイタペ作戦が「口減らし作戦」とささやかれたのは当然と言えるだろう。

 第二十七野戦貨物廠はほとんど自活専門部隊となって現地物資の収集と利用に励む。アイタペ作戦が失敗に終わり、全軍が食糧危機対処へ追い込まれると、具体的指針を提供する同廠の責務は重大だった。甘藷(かんしょ)・茄子(なす)・胡瓜(きゅうり)・南瓜(かぼちゃ)などの栽培研究が行われ、塩については航空機用燃料とドラム缶を利用した製造が行われた。

 主食となったのは「サクサク」である。サゴ椰子澱粉(やしでんぷん)を材料にしたくず餅状の食べ物で、これは指針とは別に現地人のそれを真似(まね)て各地で作られていた。ニューギニアで終戦を迎えた方でサクサクを食べたことのない方はいないだろう。将兵はさらに鳥や虫を各個の努力で捕まえて栄養不足を補うが、よく知られているように人肉食があったのも事実である。もはや生きるだけで精一杯だった。

 そうした状況にあっても戦いは続いた。アメリカ軍がフィリピンへ去ってもオーストラリア軍の攻撃はやまず、第十八軍は日ごと生存圏を奪われていく。昭和二十年五月にはウエワクも奪われ、同軍はやがて玉砕寸前で終戦を迎えることになる。

 一読したら忘れられない逸話が本書にあるので最後に紹介する。

 ウエワクに「餓惑」と当てた人物がいたという。ウエワクが第十八軍の最大拠点であったことを併せて考えると寒気すら覚える当て字である。ニューギニアはまさに将兵が餓(う)え惑い続けた戦地である。

 アイタペ作戦 「太平洋戦跡紀行 ニューギニア」などによると1944年、ウエワクには第18軍の将兵約5万4000人が集結。アイタペ、ホーランジアに上陸した連合軍は、戦線は西方に移っていると第18軍を放置した。大本営は「持久を策し」と積極的な行動の自制を命じたが、第18軍司令官・安達二十三中将は攻撃を下命。同年7月から8月上旬にかけ、アイタペから東進した連合軍とドリニモール川を中心に交戦した。ただ、補給が途絶え食料も尽きた将兵は飢えに苦しみながら戦わざるを得ず、約1万人が戦死したという。映画「ゆきゆきて、神軍」(原一男監督)は、ウエワク残留隊隊長が部下を射殺したとされる事件がテーマ。

 古処誠二(こどころ・せいじ) 作家。1970年生まれ。福岡県久留米市在住。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年にメフィスト賞を受けデビュー。10年に「わたくし、つまりNobody賞」、17年に「いくさの底」で毎日出版文化賞、翌年日本推理作家協会賞。近著に「ビルマに見た夢」。これまでに3度の直木賞候補。

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