あの日、何を報じたか1945/9/18【早くも石鹸製造へ 鮮やか、新生日本産業の先駆ぶり 日華油脂小倉工場】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈累積する悪条件と戦いながら、ひたすら戦力培養に挺身してきたわが工業界の苦闘の跡は今にして回顧すれば「よくもこれまで」と驚嘆に値するものがあるが、終戦とともに構想を一新、従来の行きがかりを捨てて新日本建設の先駆として力強い再建の第一歩を踏み出しているのもまた工業界である〉

 物資も不足し設備も荒廃した中で、軍需から民需への転換を求められた製造業。「職場に戻れ」と従業員に呼び掛ける記事や広告が多く掲載される中、「模範例」として取り上げられたのが、北九州市の日華油脂小倉工場だった。

 〈同工場は若松にある同社搾油工場から原油を仰ぎグリセリン、脂肪酸、石鹸、人造バタ(※バター)等生産していたが、戦時中は火薬原料として主にグリセリンの生産に総力を集中し、石鹸、人造バタなどは昨秋九月以来製造を中止していた〉。終戦直後にグリセリンを医療用や化粧品原料に切り替え、せっけんやバターの製造も復旧することにしたという。

 工場再稼働の具体的な日付は記されていないが、〈あの歴史的な日から数日ならずして石鹸工場も活発に動き始めた〉とあり、8月下旬には操業を再開していたとみられる。

 〈戦時中、八十名余に減っていた従業員不足に対しては、連日戦列から帰ってくる職場の同僚がもう何事もなかったように元気な姿で機械の前に立ってくれるのだった〉。写真には大きな塊の前で手を動かす女性従業員の姿が写っている。

 戦後すぐに北九州で再開されたせっけんの生産。戦前から日華油脂で生産された製品の販売を手掛けていたのが「森田範次郎商店」、現在の「シャボン玉石けん」(北九州市若松区)だった。

 同社によると、日用品や雑貨を扱っていた森田範次郎商店は1923年、日華油脂の前身である日華製油からせっけんの取り扱いを依頼されたという。このせっけんが飛ぶように売れ、卸問屋に業態を転換。現在の礎となった。終戦直後の詳細な記録は残されていないが、45年11月ごろには日華のせっけんを販売していたという。

 戦後まもない混乱期に、北九州の人々を衛生面から支えた森田範次郎商店。今年で創業110年を迎え、今もその志は受け継がれている。(福間慎一)

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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