あの日、何を報じたか1945/9/22【台風ついて第一陣 親心の雲仙丸 引揚民のせ博多入港】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈鮮満在留邦人婦女子を一日でも早く内地に引き揚げさせようと、政府は現在就航中の興安丸、徳寿丸のほか新たに四隻の連絡船を配すると発表したが、二十一日朝、その増配第一船、雲仙丸(三、一〇〇トン)が朝鮮からの引揚邦人二千百三十五人および手荷物を満載して博多港に投錨した〉

 大陸からの引き揚げはこれから本格化するところだった。記事によると雲仙丸は1945年9月16日、朝鮮半島に戻る800人を乗せて舞鶴港(京都府)を出港。九州や中国地方に甚大な被害をもたらした枕崎台風の猛威の中を航海し、19日午前8時、釜山に到着したという。雲仙丸はそのまま引き揚げの人々を載せ、同日午後5時に出港した。

 台風のさなかの強行軍を、船長はこう振り返っている。〈「ものすごい台風でしたが、釜山に帰国を待ちあぐんでいる同胞のことを思うと引き返す気にもならず、風向と真正面に船首を向けて強行突破しました」〉。一歩間違えばさらなる惨事になりかねない状況だった。

 記者は、引き揚げた人々に付き添って京城(ソウル)から派遣された「京城内地人世話会」の足立純一さんに、満州と朝鮮の情勢を聞いている。足立さんはそれぞれ、次のように語っている。

 〈満州 聞いたことを総合すると、満州にいる邦人は憂慮さるべき状態にあるようだ。特に新京や奉天は相当ひどいものらしく、進駐してきたソ連兵士は日、満、鮮人を問わず、約一週間ほど一切の婦女子を抑留した地区もある。(中略)このほか八路軍や満人のわが同胞に対する迫害や掠奪は相当各地で広範囲に行われている模様だ〉

 〈北鮮 ここもかろうじて脱出してきた邦人が多く、最も悪い状態にあるのは咸鏡北道(中略)で、内鮮人の別なくゲ・ペ・ウ(※GPU、ソ連国家政治保安部の秘密警察)が来るまで約十日間にわたりソ連兵から迫害を受けた〉

 一方、米軍統治下の朝鮮半島南部については楽観的に語っている。

 〈南鮮 アメリカ軍政下の南鮮は非常にうまくいっており、この点は安心してよい。食糧の配給も内鮮人ともに現状をそっくり持続してくれるし、列車や銀行などすべての機関は一時も停止しないよう努力してくれた〉

 当時、この記事だけでは言語に絶する引き揚げの辛苦を伝えるのは難しかったかもしれない。世話人会の足立さんが憂慮した状況を、そこにいた方々が戦後70年の2015年、本紙に語ってくれている。(福間慎一)

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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