あの日、何を報じたか1945/9/26【米兵は浮世絵好き 初外出も至極のんびり 長崎進駐第三日目】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈市内にあるいは郊外に分駐する戦友の設営や各種資材の輸送に不眠不休で働き第三日を迎えた長崎地区進駐部隊の一部は、二十五日午前中を軽い自動車操縦訓練で時間を過ごし、午後からは上陸以来初の休養時間が与えられたため本格的な市民との折衝が始まった。青い服を着た水兵さんや緑の服を着たマリンたちは柳通りや浜町通りなど、市内の目抜き通りから街外れの蛍茶屋付近まで三々五々と散策する者もあり、中には骨董屋をひやかす者もあって、みんな打ち合わせたように「日本語入門」のポケット会話の手引きを後生大事にしまい込んでいた〉

 本紙は、米軍による被爆地長崎への進駐の様子を日々伝えていた。9月23日に上陸して3日目となる9月25日は初の休日だったといい、その様子をほのぼのと伝えている。

 骨董品店の関係者は〈アメリカの兵隊さんは浮世絵が大好きです。中にはあっちにもありそうな日傘まで買っていく人がありますよ〉と語っている。眼鏡橋の欄干に腰掛けて行き交う市民を眺める兵士の記述もある。

 子どもたちと談笑する米兵の姿を写した写真もある。〈進駐兵とヨイコの爆笑〉という見出しがある。〈長崎市の出島岸壁付近に集結したトラックやジープの片すみから時ならぬ笑い声がドッと上がった。これは進駐軍兵士が休憩時間を利用した日本語勉強の図である。ベンさんはジープの操舵者。(中略)「日本語はジープの操縦より難しい」と頭をひねって、またもや子どもたちを笑わせた〉

 記事に登場する地名に、爆心地に近い浦上地区のものはない。連合国軍総司令部(GHQ)による占領軍批判を禁じるプレスコードが発令された後の紙面。被爆地に生きる人たちの思いや惨状は、一行も記されなかった。(福間慎一)

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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