魚焼きの少女は、大名を愛する建築家に 松岡恭子【動画あり】

西日本新聞 加茂川 雅仁

シン・フクオカ人(2)

 華やかな経歴からは想像できない経験が、その人の土台を作っている場合もある。

 9月12日の夕暮れ時、建築家の松岡恭子(56)は福岡市中央区大名のホールにいた。自ら企画した社会実験「One Kyushu ミュージアム」のオンライントークイベントで司会を務めるためだ。

 出演者は唐津焼の十四代中里太郎右衛門、有田焼の十四代今泉今右衛門、十五代酒井田柿右衛門。焼き物の「三右衛門」と称される面々だが、自身に焼き物の専門的な知識はない。「え? 唐津焼のせんべいを作っちゃったんですか?」。出演者の意外な面を引き出して、焼き物への興味を誘うのが狙いだった。

 松岡は今、四つの顔を持つ。設計事務所「スピングラス・アーキテクツ」代表取締役、総合不動産会社「大央」社長、NPO法人「福岡建築ファウンデーション」理事長、一般社団法人「都心空間交流デザイン」代表理事。

 建築家としては福岡市・天神の水上公園、西鉄バスのデザイン、北九州空港連絡橋など幅広い分野の設計・デザインを手掛け、受賞歴は多数。学歴は福岡県立修猷館高校、九州大学工学部、東京都立大学大学院、ニューヨーク・コロンビア大学大学院修士課程修了…。

 これだけ見ると順風満帆のようだが、子ども時代の話になると、こう言っていたずらっぽく笑った。

 「あたし、魚を焼いてたんですよ」

松岡恭子さん設計の水上公園(福岡市・天神)は2017年、市都市景観賞を受賞した(撮影・三笘真理子)

 

 3歳の時、自動車部品を扱う父の会社が倒産し、両親と3人で母の実家に身を寄せた。中央区の西公園にある「じゅう」という旅館だった。

 数年後、父が不動産会社を興して再起したが、祖父が交通事故で急死する。母が旅館の調理場に入ることになったため、小学校を卒業するまで手伝った。

 ずっと後になって、母から打ち明けられた。「何度も夫婦で死のうと思ったけど、あなたがいたから思いとどまれた」。そんなことはつゆ知らず、でも母を助けたい一心で、魚を焼いたり、仲居さんと一緒にシーツを洗ったりして働いた。

 旅館は水炊きとすき焼きが有名で、忙しかった。よく覚えているのは9歳の頃。山陽新幹線の博多乗り入れを記念して、大濠公園で「福岡大博覧会」(1975年3月)が開催された。旅館は会場建設の関係者でにぎわった。魚を焼いて持っていくと、客からこんな声が返ってきた。

 「お~い、恭子ちゃん、魚の裏側が焼けてないよ」

 従業員や客、いろんな大人に囲まれた生活。帳簿をつける母の隣にいて、自然に商売の成り立ちも学んだ。街で「コーヒー100円」と書かれた看板を見つけると、「1カ月に何杯売れたら成り立つんだろう」と考えていたという。

 中学生になると、「これからは資格がいるかも」と考え始める。幼い頃から生きていく大変さを見てきたせいだろうか。

 医師か弁護士を考えるが、父からは「もっとクリエーティブな仕事が向いているんじゃないか」とアドバイスを受けた。そして中学2年のとき、ある本に「建築は総合芸術だ」と書いてあるのを見て、進路を決めた。

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