鶴田バレエ学院、年内でクローズ 福岡の舞台芸術リード

西日本新聞 ふくおか都市圏版 藤原 賢吾

元気なうちに「終活」

 半世紀以上にわたって福岡のバレエ界をリードしてきた「鶴田バレエ学院」(本校・福岡市城南区)が年内で閉院する。大正時代から博多に舞台芸術を根付かせ、花開かせた一族をルーツとする学院の幕が下りる。創設者で会長の鶴田溢子(いつこ)さん(88)は「自分で始めた学院を元気なうちに自分の手できれいに収められて幸せです。私なりの『終活』なんです」と語る。

 学院のスタートは1965年だが、源流は溢子さんの祖父・井上胡蝶(こちょう)が22年に発足させた「博多少女歌劇団」と劇団「青黛(せいたい)座」。博多の宝塚歌劇団を目指した歌劇団は、溢子さんの母・冨貴子さんを中心に国内にとどまらず旧満州などでも公演を成功させた。胡蝶は冨貴子さんに日舞やバレエ、タップダンスなど多彩な身体表現を学ばせた。そのために各地から一流の指導者を博多に招いた。ロシア革命から逃れ「日本バレエの母」とたたえられるエリアナ・パブロワもその一人で、指導された冨貴子さんは「九州で初めてトーシューズを履いて踊った人」とも呼ばれた。

 独創的なオリジナル作品を数多く上演し人気を集めた歌劇団の精神は、29年に生まれた後の「鶴田舞踊研究所」に引き継がれた。時代の波にも洗われ、戦中は日本軍への慰問、戦後は進駐軍を前に公演した。3歳で初舞台を踏み、九州各地の駐屯地を慰問した溢子さんは「兵隊さんはみんな喜んでいました。進駐軍の子どもたちにバレエを教えたこともあるんですよ」と懐かしそうに振り返る。

 戦後、溢子さんは姉と研究所を継ぎ、姉は「ツルタバレエ芸術学校」(本校・同市中央区)を、溢子さんは学院を立ち上げ、ほかの妹2人も指導者となった。

 数千人を育てた溢子さんの教え子には、歌手の梓みちよさんや小柳ルミ子さんのほか、海外へ羽ばたいたバレリーナもいる。「基本を大切にしながら創造的で表現力のあるバレエを目指してきました」と溢子さんは力を込める。

 閉院の決断は、溢子さんの後を継いだ長女で院長の美佳子さん(62)が数年前から足などに不調を抱え、携わることが難しくなったため。閉院時期を探っていたところコロナ禍に襲われた。2カ月の休院や公演キャンセルなどで年内閉院に踏み切った。美佳子さんは「タイミングだと思いました。体調や年齢を考えると若い人に道を譲った方がいい」と打ち明ける。

 だが、精神を継承する教室も生まれる。学院出身で現在は学院の指導者に回った姉妹2人が同市早良区に新スタジオを構え、生徒約90人のほとんどが移籍する。美佳子さんは「新たな感性で新たな時代のバレエを切り開いてほしい」とエールを送る。一族の思いを胸にバレエに心血を注いだ母娘の夢には、まだカーテンコールは訪れない。

(藤原賢吾)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ