【ウィズ・コロナと住環境】 平野啓一郎さん

西日本新聞 オピニオン面

◆自宅はどうあるべきか

 「ウィズ・コロナ」、「アフター・コロナ」という言葉には批判もあるが、流行の終息はまだ見込めず、将来の別のウイルスの出現をも考えるなら、ともかくも、この状況への適応が求められている。

 その一つは、住環境の意識変化だろう。リモートワークが進み、オフィス自体の縮小計画を耳にするようになったが、それと連動して、この間、5人もの私の知人が、東京から他の道府県への移住を決めた。それぞれに、元々、燻(くすぶ)っていた思いがあったようで、会社の支援のあるケイスもあるが、さすがに驚いた。東京に住む必然性がなくなったというだけでなく、狭い東京の戸建てやマンションは、リモートワークに不向きであり、庭もなければ自然からも遠く、長時間、蟄居(ちっきょ)し続けることに苦労した結果だった。

 長らく私たちは、自宅はプライヴェート、外に出ればパブリックという二分法的な発想を維持してきた。職場に私生活を持ち込まない、家庭には仕事を持ち帰らない、という考え方があり、職場に連帯が求められるのに対し、家族の一体性も自明視された。

 どこにいても家族の息吹が感じられる、といった開放的な住宅建築が、この間、散々提示されてきたが、その根本にあるのは、極めて保守的に理想化された家族像である。親子の間には、何の秘密もなく、関係も良好で、家庭内には家族としての、ただ一つの時間さえ流れていればいい、と。しかし、もしそうでないならば、この隠れる場所のない空間は、耐え難いものだろう。東京で、平穏な家庭生活を送っている人でさえ、私が仕事の必要上、自宅に書斎を持っていると言うと、いつもどれほど羨(うらや)ましがることか。

    ◆   ◆ 

 私は北九州の実家の古い日本家屋で育ったので、2階の自室にプライヴァシーがあり、10代の頃には、そこで、様々なことについて思い悩み、考え、文学や音楽に没頭し、親とは共有できない秘密を幾つも抱えていた。創造的な活動には、誰にも干渉されない孤独が不可欠で、東京をはじめとする都市部での生活の問題は、その不足にある。

 他方、電話に始まり、今日のインターネットに至るまで、そうした閉鎖的な私的空間としての自宅には、早くから社会への開口部が備わっていたが、そのアクセスは、主に私的な時間だった。リモートワークのように、自宅で社会的な自己に長時間ならざるを得なくなって、多くの人が、現在の住宅建築に、構造的な不備を感じている。が、これは、今整理してきた通り、思想的な問題である。

 逆に、会社はリモートワークによって、社員の私生活の一端に触れ、職場にそれを取り込まざるを得なくなった。独身である、あるいは、子供もいれば配偶者もいる、というその事実が可視化されれば、社内の関係性にも、善(よ)かれ悪(あ)しかれ(善くあるべきだが)、影響を及ぼすだろう。

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 自宅は一体どこにあり、どういう構造が理想なのか? 今は既存の間取りを工夫するしかないが、根本的な発想の変化が必要となる。

 ウイルス対策という意味でも、自宅に完全に隔離可能な空間があるならば、家庭内感染のリスクは軽減する。逆に、その余裕がなければ、対処には限界がある。

 手洗いの徹底は、今も毎日のように言い聞かせられているが、玄関先に手洗い場があれば、その動線で持ち帰ったウイルスをつけて回ることもあるまい。脱衣所とシャワーさえ欲しいという人もいる。

 その他、将来的なドローン自動運転での配達物の受け取り、VR用のスペースなど、現在の不便は、自宅のイメージが大きく更新されるきっかけとなるだろう。

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中に「日蝕」で芥川賞。「マチネの終わりに」で渡辺淳一文学賞。「ある男」で読売文学賞。本紙で連載された「本心」は来年刊行。

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