むなしさを与える幸せも【坊さんのナムい話・19】

西日本新聞 くらし面

 舞茸(まいたけ)というキノコはめったに自生しておらず、とてもおいしいため、山で見つけると舞い上がるほどうれしいことからその名がついたとも言われるキノコです。しかし、近年は栽培方法が確立し、スーパーでも普通に見かけるようになりました。スーパーで舞茸を見つけて踊ってる人なんて見たことありません。

 貴重なキノコと言えば松茸(まつたけ)です。幼い頃、父の知人が松茸の生える山を持っていて、何年かのお付き合いの間送ってくださいました。食卓に上がると、必ず父が話題にするのが、幼き頃のすき焼きの話でした。父の小さい頃は松茸がそれほど貴重ではなく、普通に手に入ったそうです。そのため、すき焼きの時は松茸が山のように入っていたのだとか。すき焼きといえばお肉ですが、当時はお肉が手に入らなくてちょっぴり。それが嫌で嫌でしょうがなかった。まさか松茸をこんなにありがたがって食べるとは思っていなかった。ちょっぴり皿にのった松茸を目の前にそう嘆くのです。

 ところで、私たちは本当に松茸が好きなのでしょうか。もし舞茸のように栽培方法が確立してスーパーに並ぶようになったら、今と同じ気持ちでありがたがって食べるでしょうか。おそらく違うと思います。私たちが物を手に入れる喜びというのは、それ自体で満たされる喜びのほかに、「私だけ」が手に入れたという喜びがあるのです。他の人が当たり前に手に入れているものを手にしてもうれしくない。他の人がなかなか手にすることのできないものを「私だけ」が手にしたときに感じる幸せ。これが私たちの求める幸せの正体ではないでしょうか。

 私たちはたくさんのモノに囲まれた生活をしています。この生活を過去の人が見たらどれほどうらやむでしょう。しかし、私たちの心が満たされているかといえばそうではありません。

 自分と他人を切り離し、比較の中だけで味わう幸せは最終的に私たちにむなしさを与えます。今、目の前にあるモノ達と向き合い、そのものを味わっていくことが大切です。私の口に入ってくださる縁を大切に秋の味覚を楽しみたいものです。

 (永明寺住職・松崎智海 北九州市)

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