僕は何もしとらん 言葉を刻む(93)

西日本新聞 社会面

僕は何もしとらん

 (長崎電気軌道の学徒運転士、田中久男さん)

 同じく学徒運転士だった和田耕一さんと田中さんは、下宿先を行き来する仲だった。原爆が投下された1945年8月9日、朝から路面電車の事故が続発していた。和田さんは乗務予定が変わり、爆心地から離れた営業所にいて助かったが、田中さんは爆心地近くで被爆した。3日後、駆け付けた和田さんに、やけどを負い、ボロボロの制服姿の田中さんは、うわごとのように「何もしとらん」と繰り返し、息絶えた。人生でやり残したことがあるという無念か、運転ミスはしていないと言いたかったのか。16歳だった。2018年、和田さんが91歳の時、取材に語った。

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