偽文書が広げた波紋

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 「郷土の歴史」を用いて地域おこしを図る自治体は全国に数多い。しかしもしその「郷土史」のよりどころとなる史料が偽物だったら-。想像しただけで腰が落ち着かなくなる。

 大阪大谷大学の馬部(ばべ)隆弘准教授による「椿井文書(つばいもんじょ)-日本最大級の偽文書(ぎもんじょ)」(中公新書)はまさにそんなケースを指摘した本だ。江戸時代に作られた偽文書が近畿一円に流布し、今も市町村史などに「正しい古文書」として掲載されている実態を解き明かす労作である。

 どこかミステリーを思わせるような話ではないか。馬部さんに詳しく聞いた。

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 椿井文書とは、山城国椿井村(現京都府木津川市)の国学者・椿井政隆(まさたか)(1770~1837)が中世の文書や絵図の写しと偽って作成した地図、家系図、由緒書などの文書。馬部さんの研究によれば、その数は数百点に及ぶとみられる。

 椿井は隣村との間で山地の支配権を争っていた村などの依頼に応じ、有利になる偽文書を作っていたらしい。椿井文書はそうした必要性を背景にして世に受け入れられた。近代になると所有者が変わって第三者が椿井文書を売ることで、信ぴょう性が増したという。

 -郷土史の中に定着したのはどうしてでしょう。

 「自治体が地域に残る史料を網羅しようとすると、地域のお寺や神社が大事にしていた椿井文書を集めてくることになる。監修する大学の先生も、実物ではなく活字に起こしたのを見ると怪しさに気付きにくい」

 「椿井文書は絵図が多いので、自治体が作る本には『ビジュアルを入れたい』と考えて掲載してしまうという事情もある。こうして自治体史など公的な資料に掲載されることで、さらに信用を獲得してしまった」

 馬部さんの調べでは、1960年代以降近畿地方で刊行された30以上の市史、町史に椿井文書が中世史料として引用されている。

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 馬部さんが近畿地方の自治体の文化財担当職員として勤務していたころ、小学生向け郷土史副読本の内容確認を求められた。史実として不適格な部分を書き換えるよう要請すると、編集担当者から「史実でなくてもいいから、子どもたちが地元の歴史に関心を持つことの方が大事」と明言されたという。

 -地域おこしが絡めば、ますます史実の正確さは軽視されそうですね。

 「地域おこしに歴史を使うのは基本的に良いことだと思う。しかし、ベースとしての研究があってこその活用。『研究をとばして活用』になってはいけない」

「最近、自治体の文化財や歴史に関わる部署が、教育委員会から行政の観光部局に付け替えられる傾向がある。これでは『観光のための研究』になってしまうのでは、と心配している」

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 馬部さんと話していて気付くのは、時折「椿井さんは」と「さん付け」になることだ。馬部さんは偽文書の告発者なのだが、同時に「椿井への愛情は誰にも負けない」と言い切る。椿井という人物にはそれだけの興味深さがあるらしい。

 郷土の歴史が「立派だから誇る」のではなく、等身大に捉えた上で、深く掘り下げる。そこに愛情が生まれる。郷土史とどう向き合うか。そのヒントが馬部さんと椿井文書の関係にある。 (特別論説委員・永田健)

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