中村八大編<481>ウヘホムフイテ

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 名曲「上を向いて歩こう」がテレビで初めて歌われたのは1961年だ。NHKの「夢であいましょう」の「今月のうた」のコーナーだった。

 <ウヘホムフイテ(上を向いて)アールコゥオゥオゥオゥ(歩こう)> 

 歌い手の坂本九は日本語を崩したような独特な歌い回しで強い印象を残した。「上を向いて歩こう」が公に発表されたのは、その1カ月ほど前の中村八大のリサイタルだった。中村はこのリサイタルの準備のため前年に渡米している。中村の長男の力丸は語る。

 「精力的に向こうの音楽に触れ、学んでいました。そのなかには、クラシックからジャズ、そしてアメリカン・ポップスもありました」

 中村らしい音楽のジャンルの壁を超えた画期的なリサイタルだった。ジャズは江利チエミ、シャンソンは石井好子、クラシックは栗林義信など、出演者は当時の第一人者ばかりだ。「上を向いて歩こう」もその中の曲だった。曲が完成した時点では歌い手は決まっていなかった。中村が抜てきしたのはロカビリー歌手としてデビューして、人気の出ていた19歳の坂本だ。

 とは言っても他のメンバーと比べれば「新人」に近い。大胆な起用だ。中村は坂本のステージを観て、才能を見抜いていた。坂本の妻、柏木由紀子は自著の中で「八大さんが九に歌わせてみたいとおっしゃってくださった」と書いている。力丸は言う。 

 「これからの日本のポップスを体現できるチャーミングさと、躍動感を併せもっていると、白羽の矢を立てたと思います」 

   ×    × 

 作詞の永六輔はリサイタル当日に坂本と初めて会って、あいさつを交わした。永はリサイタルの舞台監督でもあった。本番前の練習で初めて坂本の歌を聴いた。その歌い方に「なんだ、これは。ヘタクソだ。ふざけているのか」と驚いたという。作詞者としては当然の反応だ。 

 苦肉の策だったともいえる。メロディーと歌詞の長さが合っていなかった。歌詞を伸ばす工夫がいる。中村は坂本の追悼コンサートのパンフレットの中でこう記している。 

 「譜面には、『ウへホ…』とは書いていないが、『歩こう』の後に『オゥオゥオゥ』と、ちゃんと書き入れてあったのだ。永さんの怒りが激しいので私はその事をずっと黙っていた」 

 中村はメロディと歌詞の長さの合致を秘かに補完していた。これが歌い方のヒントの一つになったようだ。ただ、中村、永、坂本の3人はこの曲が世界的にヒットするとは思っていなかった。 =敬称略

  (田代俊一郎)

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