「スパイの妻」 戦時下の正義とは何か、蒼井優の確かな存在感

西日本新聞 吉田 昭一郎

 太平洋戦争の開戦前夜、国民の思想監視と統制、弾圧が強まる中、軍に関わる国家機密を偶然手に入れた夫妻の波乱の歩みを描く「スパイの妻〈劇場版〉」(黒沢清監督)が10月16日、全国公開される。主演の蒼井優(福岡県出身)が摘発の危機を背負いつつ夫を愛し、支える妻を確かな存在感で演じている。

 舞台は神戸。港では憲兵たちがスパイなど不審者の動きに目を光らせる。蒼井演じる福原聡子の夫は、貿易会社を経営する優作(高橋一生)。舶来ウイスキーをたしなむコスモポリタンで、夫婦でおしゃれな洋装を楽しむ。国民精神総動員運動の下、国民服令で標準服が示され、「ぜいたくは敵だ」とうたわれる中だけに、憲兵からにらまれる。

 そんな優作が仕事で渡航した満州で、思いもよらず関東軍が関わる国家機密を知って帰国してから、波瀾(はらん)万丈の運命が夫婦にかぶさってくる。

 その国家機密は、対外的に漏えいしたり告発されたりすれば対日制裁・参戦の口実にされるほどの極秘事項。憲兵隊は疑いを持てば市民を徹底的にマークし、捜査の網を絞ってくる。夫妻は、国家機密をどう扱うかで対立し、愛し合うが故の欺瞞(ぎまん)や策略も辞さない。聡子の知人の憲兵隊幹部(東出昌大)も絡まって、事態は予想外の展開を見せる。

 作品は、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した。黒沢監督と浜口竜介、野原位による脚本、演出は絶妙だ。安易な推理を裏切る二転三転の物語に、屋内の暗がりを多用したミステリータッチの演出を重ねて、緊迫したラブサスペンス娯楽劇に仕上げている。

 全編を通し、映像の中に暗雲のように漂うのは、軍機保護法が国民の一挙手一投足に目を光らせ、英米人たちとその友人の日本人にくまなくスパイの疑いをかけ、憲兵たちが陰に日に横行する時代の空気感である。次の展開を推理しつつ物語の世界に入り込みながら、戦時下の抑圧を追体験するような趣がこの作品にはある。物語を通して、戦時下の正義とは何なのか。正気を失った戦時国家の「国益」に従うのは果たして正義なのか、問いかける。

 蒼井は愛らしさと同時に、深謀遠慮ができる知性と果断さを併せ持つ聡子を、多彩な表情で演じている。戦後75年の今、再び、あの狂った時代に向かう予兆はないのか、暗に疑問符を突き付けるような聡子の言葉に至っては、そのまなざしに本気の力がある。 (吉田昭一郎)

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