あの日、何を報じたか1945/10/8【寒いぞ、今年の冬 「燃料のため池」は空っぽ】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈朝夕に冷気を覚ゆるころとなった。厳しい冬はもうそこだ。燃料の不足で昨年は寒い冬を送った。ところで今年はどうか。寒いながらも昨冬は「勝つために」の緊張で兎も角も寒さをはね返してきた。燃料事情からみれば、今年もまた寒い冬を覚悟しなければならない。殊に戦災で衣料や家屋を失った人々には気の毒な冬の到来である〉

 1944年末から45年初めにかけては、厳しい寒さだった。気象庁の過去データによると、福岡市では45年2月、最低気温が氷点下になった日が28日間のうち22日を数えた。

 勝つための我慢は必要なくなったが、同時に空襲で家を失った人も多い中で迎える冬。記事は〈県や森林組合ではいま懸命となって「あたゝかい贈り物」の増産対策を立てているが、さて各家庭のお台所にこれから先、どれ位の燃料が届けられるだろうか〉

 読者の関心に応えようという記事は、農林省福岡木炭事務所の所長に見通しを聞いている。

 福岡県では先の冬は、木炭の備蓄分が完全に底をつき〈非常用として取ってあった三千トンまで自動車用として全部放出された〉という。主な理由は▽作戦に伴う生産県自体の膨大な消費増▽生産県からの輸送力不足-だった。

 所長によると、来る冬の木炭の見通しは、復員で働き手が増え、輸送力も増強された一方で、度重なった台風被害で産地の山道が被害を受けており、決して楽観できないというものだった。薪と練炭について、所長は次のように語っている。

 〈薪 四月から九月までの生産実績からみて七十万石の目標完遂はまず大丈夫というところ。問題は輸送の一点にかかっており、各家庭への配給、毎月一束は確実とみられる〉

 〈練炭 炭鉱労務の急激な減少のため、練炭の原料たる無煙炭の生産に支障を来し、一月以降の見通しは全然立たぬが、十月から十二月までの配給量は一戸だいたい十四個宛(※ずつ)が見込まれている。(中略)要するに今冬の燃料事情は相当窮屈なものというべく、暖房炊事用としてできうる限りの電熱利用瓦斯利用が要望されるとともに、寒波克服へ昨冬に負けぬ「再建日本」の逞しい精神力の発揚を期すべきであろう〉

 気象庁の過去データによると、1945年末-46年初めの寒さは、前の冬に比べて少し穏やかだった。 (福間慎一)

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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