「兵隊と兵隊との戦争ではありません」銃後支えた国防婦人会

西日本新聞 筑豊版

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(19)

 戦争を描いた映画やドラマには、かっぽう着に「大日本国防婦人会」のたすきをかけた女性が当時の象徴的な姿として登場する。

 1931(昭和6)年に中国東北部で満州事変が勃発し、さらに上海事変へと日中の戦争状態が拡大した32年に大日本国防婦人会は誕生した。軍の総力戦体制、国防国家体制作りに全面的に協力する婦人団体として設立された大日本国防婦人会は、家庭婦人だけでなく働く女性たちも組織化し、戦場を支える銃後の体制を強化し、軍国主義の精神を植え付けていった。

 出征兵士を歓呼の声で送り出し、慰問品を戦地に送り、消費節約や廃品回収、毛布献納運動などに取り組み、退役軍人によって組織された在郷軍人会や青年団とともに全体主義的な国家体制を作るのに大きな役割を果たした。背景には軍部の強い力が存在した。

 三井山野鉱業所(嘉麻市)発行の「山野新聞」に在郷軍人会連合分会長名で「国防婦人会結成 御婦人方の入会を切望す」との記事が35年11月24日に掲載されている。

 「我国刻下(わがくにこっか)の非常時は同じ非常時と申しましても、日清、日露戦役当時の非常時とは比較にならない程重大な非常時であります」

 「これからの戦争は兵隊と兵隊との戦争ではありません。勿論(もちろん)軍人が中心にはなりますが、国民と国民間の戦争でありまして即(すなわ)ち国民皆兵、皆様御婦人方の絶大なる銃後の後援を必要とする次第であります」

 「我々(われわれ)在郷軍人は勿論、男子という男子が全部出征した後、銃後の後援を強化するための士気の振興とか、反戦思想の排撃、軍事機密の防衛、敵機の空襲、出征軍人後援或(ある)いは各種遺家族の救恤慰藉(きゅうじゅついしゃ)(慰め救援すること)など実に重大なる任務に服して頂(いただ)かなければなりません。如何に忠勇義烈なる日本軍人でも国の内部がグラついて居ては安心して御国の為(ため)に死す事は出来ません。国の内部に於(おい)て一番基礎になるのは皆様御婦人方であります」

 その後新聞には慰問や奉仕、軍からの感謝状など炭鉱の女性たちの活動を伝える記事が増えている。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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