戦争の証言再び光を 連載最終回に寄せて

西日本新聞 社会面 中原 興平

 お墓に供えられた色とりどりの花が目に鮮やかだった。

 福岡市の片田喜久子さんは、5年前に93歳で亡くなった。戦後75年の今年、100回にわたり続けてきた「言葉を刻む」は、本社に保管されていた片田さんの手紙の一節から着想を得た。

 「B29は、どんな鉛筆かと問われました。私は驚きました」

 手紙は、亡くなる1年余り前、本紙が戦後70年の証言を募った際に寄せられた。B29とはもちろん、戦時中に日本本土を襲った米軍の爆撃機。鉛筆の2Bなどの意味を幼稚園児に話している時に受けた質問だったという。戦争が遠い過去になった事実に改めて直面し、戸惑う戦争体験者と、無邪気な子どもたち。たったこれだけの文章から、その光景がはっきりと目に浮かんだ。

 「平和のために」とこれまで本紙に証言してくれた多くの戦争体験者。彼らの言葉に、もう一度光を当てられないか。短くても、十分すぎるほどに生々しく、身につまされる一文が、過去の紙面と取材メモに埋もれているはずだと考えた。

 ベニヤ板製ボートの特攻艇を見た元教官が感じたという「こんな物で戦えるか」。ビルマの戦闘に参加した元補充兵が語った「要するに、逃げてばっかりですよ」。長崎原爆翌日に救助活動を行った男性の「一瞬で殺されたのかと妙に感心した」。各地の地方紙とも連携し紹介してきた言葉はいずれも、体験者でなくては語れぬ迫真性に満ちていた。

 書道教室を長年開いていたという片田さん。だが、手紙の文字は所々が震え、判読が難しい箇所もあった。「本当に字がきれいな人でしたから、病床で力を振り絞って書いたのでしょう」と、片田さんの教え子で自らも教室を開く佐藤加奈子さん(72)=福岡市=は話した。

 企画はひとまずの区切りを迎えるが、これからも平和を願う言葉を今に刻む模索を続けたい。

(「言葉を刻む」企画キャップ・中原興平)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ