「鬼に金棒、小野に鉄棒」レジェンドが体操・内村を激励

 1964年10月10日に東京五輪の開会式で選手宣誓を務めた体操の小野喬(たかし)さん(89)が、西日本新聞の電話取材で自身と同じ4大会連続の五輪出場を目指す内村航平選手(31)=長崎県諫早市出身=に激励の言葉を送った。五輪で日本人最多の計13個のメダルを獲得した小野さんは33歳だった東京大会で日本選手団の主将を務め、男子団体総合の金メダルに貢献。「30(歳)を過ぎて体操をするのは大変なこと」と同じ競技の後輩を見守る。

 「私はここに全競技者の名において、スポーツの光栄とチームの名誉のために」(64年10月10日付西日本新聞夕刊より一部抜粋)。小野さんが宣誓した後、青い空に航空自衛隊ブルーインパルスが五つの輪を描いた。「今みたいに日本選手団主将というプレッシャーはなかった」と振り返る。ただアスリートとして「本当は(60年の)ローマ五輪で(現役を)やめようと思ったけど、東京が決まって(代表に)入ってうれしかった」と自国開催の五輪への特別な思いを語った。

 2度目の東京五輪は2020年から1年延期となった。現役最多の7個のメダルを手にしている内村選手も「東京でなかったら現役はやっていない」と語ったことがある。「100本以上の注射を打った」という両肩の痛みなどを考慮し、2大会連続で金メダルを手にした個人総合から種目別の鉄棒に専念してまで東京五輪の出場を目指す。

 「鬼に金棒、小野に鉄棒」と称された小野さんは「内村君は私たちの時代には想像もできない演技をやっている。だから私が言うことではないけど、無理がたたっているのかな」と思いやる。「6人中6位で代表になった」と言う64年は大会前に肩を痛め、はり治療を受けながら団体総合の五輪2連覇を達成。「最高だった」と絶好の形で現役を終えることができた。

 引退後は日本のスポーツクラブの先駆けとなる「池上スポーツクラブ」を東京に設立。鹿屋体育大で教授も務めた。両親が営む「スポーツクラブ内村」で基礎をつくり、小野さんに続き日本五輪史の“レジェンド”となった内村選手へ、「東京五輪の代表に選ばれることは名誉なこと。ぜひ選ばれてほしい」と願いを込めた。 (向吉三郎)

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