英雄伝説の虚と実と

西日本新聞 上別府 保慶

 99歳で亡くなった私の伯母が、戦争中に従軍看護婦として、北は内モンゴルから南はミャンマーまで転々とした話を以前に書いた。今回は、その伯母が鹿児島の女学校生徒だった頃の思い出から始まる。

 修学旅行は、汽車に乗っての東京旅行だった。女学生たちは車中でも鹿児島弁丸出しでよくしゃべる。他の乗客にはちんぷんかんぷんで「あなたたちは朝鮮から来たのか」と尋ねられて大笑いしたそうだ。

 皇居に次ぐ大事な訪問先は東郷平八郎の家だった。日露戦争の日本海海戦を連合艦隊司令長官として勝利に導いた東郷は、西郷隆盛に次ぐ郷土の偉人であり、玄関前に整列してあいさつする決まりだった。

 東郷は「頑張りなさい」と声を掛けた。伯母は、若い頃はさぞ美男だったろうと思いながらも、これがいつも戦争画で見る軍神かと思うほど「こまーんか(小柄な)おじいさんじゃったど」とよく言った。

 日露戦争後の東郷は、東宮御学問所総裁のほかは特に顕職には就かず、郊外の別宅で農作業に精を出した。自分を祭る東郷神社を建立する話が持ち込まれた時は、普段は静かなこの人が「何というばかなことを考える」と怒鳴ったという。

 だが軍部が政治への関与を強めた晩年、東郷の神様扱いはエスカレートした。戦時中は海軍にいた作家の阿川弘之氏は「米内光政」(新潮文庫)で書く。

 「重大案件は何事も、八十を過ぎた老元帥の意向を聞いてからという奇妙な風潮が出来上がり、ロンドン軍縮条約の批准にあたって(中略)取り巻きにかつがれた東郷は、少壮強硬派の勇ましい連中と同じことしか言わなくなり、最高人事に口を出して海軍の進路を誤らせるもとを作った」

 東郷は1934年に86歳で死去。全国から神社の創建を求める寄金があり、この6年後、東京都渋谷区に東郷神社が建立された。

 そして敗戦。戦後は思わぬ所で東郷についての都市伝説が広がったと指摘するのは韓国人ノンフィクションライター崔碩栄(チェソギョン)氏だ。

 歴史好きの方は、文禄・慶長の役で日本軍を破った朝鮮水軍の将、李舜臣(イスンシン)を東郷が絶賛したと読んだ記憶がないだろうか。民族の英雄をたたえる余話として広まったが、崔氏は出典が見当たらず「最近は韓国内でも東郷提督の李舜臣崇拝説は否定されている」とする。小学館新書「韓国『反日フェイク』の病理学」より。

 歴史はとかく後世の都合で書き換わる。日露戦争の後に、陸軍が戦史を編んだ時の話。前線指揮官たちが日本兵は実は精神力があまり強くなかったと言ったが、伏せられたという。半藤一利氏の「ノモンハンの夏」(文春文庫)にある。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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