新ガリバー旅行記(2) 貧困の恩恵【中村哲医師寄稿】

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 人間は平等だ。―と教えられた。しかし、これは違う。天は不平等である。パキスタン・アフガンの山岳部で古代と変わらぬ生活を営む人々と先進国以上に都市生活を堪能(たんのう)している人々、都市の中でも上流階級と下層階級、この極端な差をみると、つくづくそう思う。かく言うわがPMS(ペシャワール会医療サービス)でも、門衛の初任給が千八百ルピー(三千六百円)、事務長の給与が二万ルピー(四万円)、と著しい。だが仕事ぶりをみれば、残念ながら納得がゆく。安いだけのことがあるのだ。読み書きができないことには拘(こだわ)らないが、時間を守らない。責任感がない。好き勝手に休みをとる。

 日本人ワーカーにも、この不平等に心痛めるものがあり、何とか貧しい者に気遣おうとする。しかし、やがて同情は徒労であると気づいて、がっかりすることが多い。この不平等は、それを事実だと受け入れるのに時間がかかる。誤解されるのは、貧困=理不尽な苦痛という図式が頭から離れないからだ。また、現金収入の多寡をもって貧困の尺度とするのも不自然なところがある。

 一般に、貧しい者は楽天的である。あるだけの収入で生活をまかなうだけの、偉大なたくましさを備えている。彼らにとって、「金は多いに越したことはないが、生きるために決定的なものでもない」と、どこか信じている節がある。むろん、本人たちに訊(き)けば、家族は多い、子供を学校にもやれない、病気の両親を抱えている、などなどと訴えて同情をひこうとする。私のような古典的な日本人の感覚からすれば、「乞食(こじき)根性」ということになるが、そんなカミシモもかなぐりすてて、もっと自由闊達(かつたつ)である。守るべきものがないのだ。アフガニスタンの小話で、面白いものがある。ある時強盗に入られた。主人公の男は尻(しり)だけ見せて物置に姿を隠した。強盗があっけにとられ、「何でまた隠れるんだ」と尋ねると、男は答えた。「いや、せっかくお仕事においでになったのに、ごらんのとおり無一物。恥ずかしくて身を隠していたのでございます」。憎めぬ貧しき者に拍手、敬礼。

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