「ダンスでつながる幸せ」糸島から世界へ 遠藤真澄【動画あり】

西日本新聞 加茂川 雅仁

シン・フクオカ人(5)

 災い転じて福となす。その幸福の輪を世界中に広めることができたら、素晴らしい人生になるはずだ。

 9月末の夜、福岡市中央区渡辺通のジャズバー「ニューコンボ」。ピアノとウッドベースが心地よいリズムを刻む。

 客席が温まった頃合いを見計らい、遠藤真澄(35)はステージに現れた。

 妖精のような軽やかさで宙を舞い、回転し、時には獣のように激しく身を震わせる。それでも呼吸は乱れない。そして一心に注がれる視線。

 「お客さんとつながれたこの感じ、やっぱり最高です」

 プロのUKジャズダンサーとして、ステージに立つのは半年ぶりだ。活動していた英ロンドンで、新型コロナウイルスによる都市封鎖が緩和された5月末、何とか故郷の福岡県糸島市に戻った。

 UKジャズダンスは1980年代に英国のクラブで大流行した。ジャズを軸にソウルやファンクを取り込んだ音楽に合わせて踊る。順調に活躍の場を広げていただけに、悔しさをかみしめながらの帰郷だった。

 父はスポーツクラブの支配人、母はエアロビクス講師だった。「おなかの中にいた頃からユーロビートを聴かされていました」。幼少期からバレエやコンテンポラリーダンスを習い、「決められた踊り」は苦手な性格。中学2年の時、衝撃的な出会いがある。福岡に拠点を置き、日本を代表するストリートダンスチーム「Be  Bop  Crew」の舞台だった。

 「メンバーそれぞれのダンスは個性的なのに、グルーヴ感は合っている。芸術とか自己表現とは、こういうものかと思った」

 振りがそろうこと自体が大事なのではなく、音楽の波動や楽しさを感じ合い、個性を発揮することがダンスなのだと知った。

 しかし、プロへの道は険しかった。

    ◆    ◆    ◆

 高校を出て東京のダンス専門学校へ。踊りの奥深さを学ぶ一方で、才能あふれる仲間と自分の実力を比べてしまうようになる。自分のダンスを突き詰めようとすればするほど落ち込み、心がついていかない。糸島に舞い戻った。

 でも諦められず、再び上京。飲食店などでアルバイトしたり、ダンス講師をしたりしながらレッスンに通った。家賃3万円の木造アパート「八雲荘」に住み、近くのスポーツクラブが風呂代わりだった。

 思わぬ出会いもあった。映画監督が、八雲荘で踊る遠藤を主役に短編映画を制作。ドイツの歴史ある「オーバーハウゼン国際短編映画祭」に出品され、“世界デビュー”した。

 本場のUKジャズダンスに触れたのはその頃だ。訪れたロンドンのクラブでハマった。「いろんな人種の人たちが、思い思いの表現で踊っていて、とにかく情熱がすごい。ピュアなんですよ」

 2015年、30歳でロンドンへ移住。住み込みのベビーシッターをしながらダンスを学んだ。

 知人が増えるにつれ、口コミで仕事が舞い込むように。新進気鋭のジャズピアニスト、ロバート・ミッチェルから声が掛かり、ミュージックビデオへの出演やツアーへの同行、ジャズフェスティバルへの参加などプロとして成功し始めた。

 「ダンスと思いがあれば、異国の仲間ともつながれるんだ」

ピアノとウッドベースの演奏に合わせて踊る遠藤真澄さん

 ところが、2年間のビザが切れて帰郷し、ロンドンと往来を重ねていた頃、心身の不調に陥ってしまう。

 「行ったり来たりしすぎたせいか、自分の居場所がないような感覚になってしまった」

 そんな時、地元の禅寺「龍国寺」の座禅会に参加した。目を閉じて深い呼吸を繰り返していると、自分の「体」の存在を感じるようになった。「今まではダンスを極めるという『意識』だけで生きてきたけど、体は勝手に生きてくれている。生かされている」。居場所は探さなくても既にあるんだ、と気分が楽になった。

 生かされているのは、世界とのつながりがあるから。つながりがなくなると孤独になる。

 「私がダンスをするのは、つながるためなんだ」。そう気づいて、出会いの場として無料のダンス講座や、親子向けのワークショップを始めた。生演奏に乗せ、絵本の世界観を朗読とダンスで表現するステージも企画している。

 時々は、自転車で近くの海岸に出かけ、二丈岳に登り、玄界灘を見渡しながら深呼吸する。糸島で自分を取り戻した今、こう願う。

 「ダンスで世界中の人をつなげて、幸せにしたい」

=文中敬称略(加茂川雅仁)

◆遠藤真澄さんのダンス作品はこちら

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