新ガリバー旅行記(3) 八百長の町【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 言い訳の多い土地柄である。わが病院も一週間の無断欠勤などは日常茶飯事で、その理由の大半が病気、親戚(しんせき)の葬儀である。職員によっては何度病気したか、何人親戚を殺したか分からない者もいる。赴任の初期、私もこれに悩まされた。普段忠実なアフガン人の部下が「母親が死にかけているので、しばらくカブールに帰ってきます」と言えば、痛く同情して路銀まで準備して休みを出す。ところが、待てど暮らせど帰ってこない。手術は滞るし、フィールドワークの計画が立たない。

 何かあったのだと諦(あきら)めたころ、同郷の者から「彼はカブールで良い職が別に見つかって辞めた」と知る。こちらが怒り狂っていると、当の本人がぶらりと立ち寄り、「実は良い職にありついて―」と、喜んでくださいとばかりに、いけしゃあしゃあ、慶賀の至りである。私も余りの悪びれなさに、ただ呆然(ぼうぜん)。怒りさえも引っ込んで、つい「そうか、そうか。よかったな」と言ってしまう。

 こんなことが多いので、重要な約束事は文書に残し、証人を立てる。だが、これも万全ではない。証人が寝返ったり、文書の解釈をねじ曲げられる。こんなあやふやな社会に確実なものは何もないのだと悲観的になりやすいが、しばらく現地で過ごすと、案外そうでもないことが分かってくる。実は、だれにとっても住みやすい社会なのだ。

 日本では「野放しするな」とひんしゅくを買っている浮浪者、物乞(ご)い、泥棒、そして三百万人の難民たちを、ペシャワルでは苦もなく受け入れる巨大な容量を備えた寛容さが一つの社会的色調である。おまけに、多種多様な民族が雑居しているので、お互い角を立て合わぬよう同居せねばならない。本当の理由は分かり切っていても、表向きだれもが納得する言い訳がないと、世の中円満に回らない。八百長だと新人の日本人ワーカーは怒るが、勧進帳に涙する日本人なら分かるはずだ。「それを言っては、おしめえよ」というセリフは日本にもある。肝心のところは、表層的な嘘(うそ)をほじくり出すことではなく、相手の立場を汲(く)む思いやりにある。

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