「ゆっくり」が難しく 岩田直仁

西日本新聞 岩田 直仁

 ハイパーネットワーク社会が、21世紀前半には到来するという。「1家庭1コンピューター」の時代になり、高速通信網で情報交換を行う。画像、音声、文字情報をミックスした電子週刊誌に電子新聞。オンラインの教育講座に、ショッピング…。まさに電子社会だ(1993年1月5日付西日本新聞大分県版)。

 当時、大分県は情報技術活用の先進地だった。インターネット接続サービス開始も、ウィンドウズ95の登場前。「だれもが情報を発信できる。国民一人一人が主人公」「地方と都市の情報格差はもうなくなる」。大分総局でワープロ専用機を使って書いた記事には、ネット黎明(れいめい)期の高揚感があふれ、読み返すと気恥ずかしくなる。ネットの弊害など、考えもしなかった。

 ネットは人をつなぐメディアだ。香港の民主化活動を支援、共感する声が広がる一方、マイノリティーを見下すヘイトへの共感も広がる。神奈川県座間市の9人殺害事件の裁判員裁判が始まった。会員制交流サイトに「死にたい」と書き込んだ女性らに被告は「一緒に死のう」と誘い込んだという。事実ならば、共感の力が作用したことになる。

 もちろんネットから受けている恩恵は計り知れない。とはいえ、テクノロジーの進化には光があれば影もある。電脳世界に浸った人間と社会の深部で、得体(えたい)の知れない変化が進んでいる不安を抱く人は少なくないだろう。

 情報化社会の否定的側面に早くから警鐘を鳴らした思想家に、フランスのポール・ヴィリリオ氏がいる。

 バーチャルな世界が広がり、多様なローカル文化が均質化していく。瞬時に双方向で大量の情報が飛び交う、そんな「速度の世界」で私たちは反射的行動に走るようになり、反省や熟慮の姿勢を失う。ヴィリリオ氏の90年代の「予言」はかなり的確だ。

 ネットに広がる共感の声も多分に刹那的、感覚的反応のように見える。「レスポンス(反応)は早いが、じっくり考えることが苦手な学生が増えた」と知人の大学教授が嘆いていたが、社会全般の傾向かもしれない。

 ヴィリリオ氏は自著に、フランス人作家の作品からこんな台詞(せりふ)を引用している。学校の先生が子どもに語り掛ける。「中庭の中を走ってはいけません。<走ったりしなければ>中庭はもっとゆったり大きく見えるはずですよ」

 速度の時代にあえて立ち止まり、じっくり熟慮の姿勢を立て直したい。と、原稿を書きながら、スマホでニュースをチェック。言うは易(やす)く行うは難し…。 (論説委員)

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