新ガリバー旅行記(9) 男女隔離【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 アフガニスタンのタリバン軍事勢力の社会政策は、祭政一致の原初のイスラムの理想を実現することにあるようである。これは一種の宗教改革の側面をもっていて、十六世紀に興隆した欧州の清教徒に比肩できる(このことは後の項で述べる)。

 なかでも都市の上流階級の女性を震撼(しんかん)させたのが「男女隔離」である。アフガニスタンもパキスタンも完全な男性社会で、その厳しさは往時の日本の類(たぐ)いではない。女学校を閉鎖し、ブルカ(顔と体を覆うマント)の着用を義務づけ、西欧のフェミニストたちの神経を逆なでした。教育を受けた女性たちは、アフガニスタン国内で働く機会がなくなり、一斉にペシャワルへ難を逃れた。そして、彼女らの悲鳴だけが世界に大きく報道されたのである。

 私は極端な政策を好まないが、タリバンのこんな面だけが喧伝(けんでん)され、社会の大部分を構成する都市貧困層と農民の日常生活が知られないので、多少は実情を伝えないと不公平である。ブルカ着用をはじめとする一連の男女隔離政策は、タリバンの発明ではない。彼らは保守的な農村と都市貧民の慣習を、全社会に敷延しようとしたに過ぎなかった。その意味では水平主義的な急進性を帯びていた。ほとんどのアフガン人女性にとって、タリバンの政策はいわば当たり前の慣習だったのである。

 タリバン支配の及ぶ一九九六年から十八年前、一九七八年に発生したクナール州の反乱は、女性たちが主役を演じた。アフガンの共産主義政権はブルカを女性からはぎとることを半ば強要した。男女平等、女性の識字率の向上を掲げ、急進的な改革を断行しようとした。カブールから派遣された役人たちが、農村のおかみさんたちを引きずり出し、字を覚えさせようとした。当時の農村女性にしてみれば、文字など農作業に役立たないし、せっかく主人にねだって買ってもらった奇麗なブルカが着れない。第一、役人が「神などいない」とコーランを引きちぎる罰当たり者に思えた。そこで役人の強制に抵抗した女性が殴られ、男たちに訴えた。これが反乱の引き金であった。

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