新ガリバー旅行記(11) 本能と規範【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 人間もまた、他の動物と同様、雌雄に二分される。成熟した雌雄が協力して子孫を残し、種が絶えぬようになっている。この営みを規定するのが本能で、性欲の生物学的な基礎である。自然界では、生物がこの本能にひたすら従って、種の絶滅から免れている。

 人間が異なるのは、相手を単に子孫を残す手段とせず、社会的関係が介在することである。人は働き、食べ、子供を育て、死ぬ。これは動物と変わりないが、ヒトの場合、大脳皮質の発達を基礎に自意識が生まれ、種全体よりも個体を重視する方に傾く。その最も進化した形態が西欧的な「個人」という概念だろう。

 動物個体としてのヒトは本能に身を委(ゆだ)ねる方が楽だから、性は最も安易かつ逃避的な享楽となり得る。衰退期の社会では、おしなべて性道徳の頽廃(たいはい)がみられた。こうなると、個体本能の暴走が種全体の存続を危うくする。この抑止力が社会的規範や道徳である。精神分析医が言うまでもなく、人はこの規範と動物本能との間の緊張で生きている。

 話がくどくなったが、イスラム社会の極端な男女隔離の習慣を見ると、昔の日本の類(たぐ)いではない。性犯罪は石打ちで殺される。それくらいしないと人が欲望を抑えきれず、禁を犯しやすいからだろうと思われる。二〇〇〇年前の中国の賢人は、「男女七歳にして席を同じうせず」といい、「若き時、血気盛んなり。これを戒むること色にあり」と教えた。カトリックでは、性行為を享楽の道具にすることを禁じている。

 厳格なイスラム主義によれば、女性が顔や肌を隠すのは男が誘惑に負けて罪を犯さないためだそうである。アフガニスタンでは女性には「ブルカ」着用が義務づけられている。これは、ちょうどシーツをすっぽり被(かぶ)って、顔のところに網目の窓を開けたような着物である。確かに男は女を見ることができないが、女の方は網目から外を見ることができる。これが性差別の象徴のごとく言われ、フェミニストの怨嗟(えんさ)の的になるが、ブルカの下で何が起きているか一応知ってもらった方が公正な判断ができよう。

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