中村八大編<483>こんにちは赤ちゃん

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 中村八大の長男、力丸が生まれたのは「上を向いて歩こう」が全米ヒットチャートで1位になった1963年である。中村はこの年の「八大家の八大ニュース」を記している。「全米1位」を押しのけて、「長男力丸の誕生」をトップに挙げている。中村のうれしさが素直に伝わってくる。力丸の命名は祖父の和之である。中村は「6人目の孫だというのに初めて孫の名前をつけたと言って大喜びでした」と書いている。 

 力丸の名前にも和之の命名法が踏襲されている。 

 力丸は「祖父は2画と3画にこだわっていました」と昨年、福岡県久留米市で行われたトークショーの中で語っている。力丸の画数は上が2画で、下が3画である。この2画と3画の組み合わせはすでに自分の子どもたちで実行済みだった。中村は三男だが、八大だ。長男は二大、次男は又大と、いずれも2画+3画となっている。和之にとって子どもや孫の健やかな成長と幸福を願うマジカルな画数であった。 

   ×    × 

 力丸の誕生によって新しいヒット曲が生まれた。 

 中村は「もう一人の素晴らしい子供ができました」と書いている。それが63年のレコード大賞に輝いた「こんにちは赤ちゃん」である。作曲は中村で、作詞は永六輔。この曲はNHKの「夢であいましょう」の「今月のうた」で披露された。歌い手は福岡市出身の梓みちよだ。梓は今年初め、76歳で死去した。 

 梓は60年に渡辺プロダクションのオーディションに合格した。62年に歌手としてデビューしたばかりの20歳の新人だった。この曲でスターへの階段を上った。梓を起用したことについて力丸は次のように話した。

 「梓さんの歌の上手さと、爽やかなイメージが決め手となったことはもちろんですが、その存在は父の近くにいたナベプロさんがあって知ることになったと思います」 

 中村は坂本九を含めて新人を登用することには柔軟だった。作曲家とその弟子といった形にとらわれない、自由さを持っていた。ただ、「こんにちは赤ちゃん」を最初に歌ったのは中村だった。というのもこの曲は、私的なものだった。永は中村と一緒に産院に行った。 

 「初めまして、僕が親父です」 

 中村がガラス越しに赤ちゃんの力丸に語りかけるのを、永は耳にした。永は詞をプレゼントした。中村は曲をつけ、鼻歌まじりに歌っていた。元の詞は母親ではなく父親の詞で、パパの歌だった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

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