「終わらぬ差別」と闘う 小出浩樹

西日本新聞 小出 浩樹

 浜からの潮風が舞う。

 その高層団地は、福岡県内の同和地区(被差別部落)に立つ。老朽化に伴い、今、大規模な補修工事が続く。

 団地の建設は1973年に始まった。それまで地区内には数千人が暮らす家屋が密集していた。

 いわれなき差別による生活の困窮から、いくつかの家族で同居する人もいた。やがて、拠出し合った土地に団地が完成し、共同の便所や炊事場、狭い路地は姿を消した。小さな商店街ができ、理髪店や生花店が並んだ。今も生活のにおいがする。

 国と自治体による同和対策事業の成果である。長年の部落解放運動で行政がようやく動いた。事業を進める特別措置法を施行したのは69年だ。50年代半ばに始まった高度経済成長の末期に当たる。

 「あれ(事業)は部落に遅れてきた高度成長やったと思う」。水平社博物館(奈良県)の川口正志理事長(当時)が語っている(宮崎学著「近代の奈落」2002年)。全国の同和事業そのものが「高度成長政策の一環と言えるのやないか」とも。

 確かに事業は日本経済を少なからず底上げしたはずだ。冒頭の団地が着工した1973年はオイルショックが起き社会が失速した年でもある。

 そして、事業は2002年に終わった。劣悪な生活環境は改善され、差別意識を生む土壌はなくなった-はずだった。

 しかし、当時普及が進んだインターネット上で、部落差別を助長する記述が目立つようになる。その上、衝撃的な「事件」が起きる。事業終了からちょうど10年後、週刊朝日(朝日新聞出版)が、橋下徹大阪市長(当時)の出自と部落の地名を暴く連載記事を侮辱的な見出しとともに掲載した。

 厳しく批判され、外部委員会は「部数増対策」とも指摘した。同社は連載を1回で打ち切り、社長は辞任した。メディア史に残る汚点だ。朝日新聞は1970年代、「ルポ 現代の被差別部落」などで世論をリードした。なのに、なぜ。

 それまで行政、企業、メディアは力を合わせ、同和問題に取り組んできた。そうした積み上げが一瞬にして崩れ落ちたショックは、私の中では今も続いている。本紙も80年代にキャンペーン「君よ太陽に語れ」で一石を投じた自負と責任がある。

 「終わらぬ差別」と闘う部落差別解消法の施行から来年で5年。高層団地の補修と同様、同和問題への取り組みは2巡目を迎えたということではないか。今まで何が足りなかったのか。一記者として思いは巡る。 (特別論説委員)

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