「冬彦さん」ならぬ「冬子さん」 でき愛する義父、実家依存症の末に

西日本新聞

復刻連載・夫婦でいる理由(わけ)<6>

 マザコン夫を描いたテレビドラマが1992年、話題を呼んだ。主人公の名は「冬彦さん」。流行語にもなり、以来、母親なしに自己決定できない男は「冬彦さん」と呼ばれるようになった。

 今回は「冬子さん」の話。親子密着は「母と息子」に限ったことではない。福岡市の会社員、純一さん(36)の妻の場合は「父と娘」だった。

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 純一さんがそのことに気づいたのは8年前、結婚して間もないころ。妻の実家に初めて夕食に招かれたときだ。

 義父は娘の顔を見るなり、抱きしめて「よく帰ってきたね」。すき焼きの肉を娘の皿に取り分け「さあ、お食べ」。食事が終わると「泊まっていきなさい」-。

 「私たちのマンションから実家まで歩いて15分。その後も週末は毎週のように呼ばれましたが、いつもこんな調子でした。義父のでき愛ぶりには、あきれました」

 妻自身も、純一さんが出張するたびに実家に入り浸り、長男を出産したときは半年以上、帰ってこなかった。家事や育児で困ると、夫より先に両親に相談した。

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 離婚に至った4年目の「あのとき」もそうだった。

 「切れた電球をどちらが買いにいくか」で口げんかし、妻は実家に戻った。

 次の日、義父に呼び出された。「娘を泣かせやがって」と怒鳴られた。「別れさせる」と追い返された。

 「妻には家のことを任せっきりにしてました。仕事人間の私に不満があったようで、たまっていたものを義父にぶちまけたらしいんです」

 1週間後、母親と仲人を伴って出直した。そのときも1時間以上、一方的に説教された。「育て方が悪いんだ」と母親までののしられた。

 はらわたが煮えくり返ったが、じっと耐えた。

 「もともと祝福された縁談ではありませんでした。妻は一人娘で、私は長男。家を継がせたい思いを押し切っただけに『許してもらった』という引け目があって」

 負い目もあった。「妻はおっとりしていて、育児も家事も要領よくこなせない。それを分かっていながら、仕事にかまけて見て見ぬふりをしていた。『実家依存症』は自分のせいでもある」

 平謝りしたが、最後まで許してくれなかった。妻は姿すら見せなかった。

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 その後も足を運び続けた。が、1カ月後、離婚届が郵送されてきた。

 真っ白になった頭の中に、1年前に他界した父親の顔が浮かんだ。「父は交渉上手でいざこざを丸く収められる人でした。生前は両家の関係も悪くなかった。父が生きていれば…」。次の瞬間、そう考えた自分を恥じた。

 「ひとのことは言えませんね。もう頼れないのに。父親なしには何もできない私の力不足を思い知りました」(文中仮名)

 この記事は1999年4月6日付で、文中の年齢、肩書、名称などの情報はすべて掲載当時のものです。

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 21世紀に入って20年が過ぎた。この間、女性の社会進出が進み、男女の関係も変化したように見える。では、夫婦のカタチは…。1999年の連載「夫婦でいる理由(わけ)」を読み返してみると、その答えが見えてくる。

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