味付けできない調理師なんて【壱行の歌 認知症を描く】

西日本新聞 医療面

若年性認知症当事者・福田人志さん寄稿(1)

 「お久しぶり」「元気だった?」「やっと会えたね」

 新型コロナウイルスの影響で、私は仲間と4カ月ぶりに笑顔で再会を果たしました。お互いの元気な姿を見て、不安や孤独感が引き、身も心も生き返ったようでした。

 認知症の私たちは、仲間や家族、支援者に支えられて生きています。コロナ禍にも負けずに踏ん張る覚悟を、みんなで確かめ合いました。

 私は福田人志と申します。長崎県佐世保市で市民団体「認知症サポート壱行(いちぎょう)の会」を立ち上げ、全国の当事者や家族とつながり、情報発信しています。会の代表で、私の後見人でもある中倉美智子さんの力も借りながら、若年性アルツハイマー型認知症の当事者としての思いを、この欄でお伝えしていきます。

 話のお供は、私がその時々の気持ちにイラストを添えた「壱行の歌」です。6年前の検査入院時からメモ帳に記し始めた1行ほどの言葉なので、勝手にそう名付けました。この<稲穂にも->は最初に記した言葉で、診断直前の不安を表しています。診断後は人と話すのも怖くなって、絶望の淵を歩きました。

 もともと私は調理師でした。佐世保市の高校を卒業して大阪の料亭で修業した後、佐世保の高齢者施設や病院で給食を作っていました。私なりに料理に情熱を注いでいたのですが、あり得ない失敗を繰り返すようになったのです。

 「あれ、まただ」。お吸い物に酢を大量に入れてしまったり、慣れているはずの手順や段取りを忘れてしまったり。さらにゆゆしきは、味覚が鈍くなり、料理が辛いのか甘いのか、分からなくなったことでした。味付けもできない調理師なんて…。

 失敗を指摘されるたび、体中の血が引き、自分が壊れてしまいそうでした。それでも最初のうちは「ストレスで疲れているのかな」と軽く考えていたのです。 

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 ふくだ・ひとし 1962年、山口県岩国市生まれ。2014年、51歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断される。15年に「認知症サポート壱行の会」設立。長崎県認知症疾患医療センターに相談員として勤務する傍ら、当事者による全国組織「日本認知症本人ワーキンググループ」理事として政策提言もしている。

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