明治の文楽「太夫」の墓か 筑紫野市で発見、旧日本軍が埋める?

西日本新聞 ふくおか都市圏版 上野 洋光

 福岡県筑紫野市の山中で明治期の文楽関係者とみられる「豊竹緑太夫」の墓石を地元住民が見つけた。この一帯は戦時中、旧日本軍の拠点として接収され、墓石の多くは当時、軍が地中に埋めたという。放置され続けた太夫の墓石などが戦後75年を経て、地域住民の手で建て直され、25日に供養祭が開かれる。

 見つかった墓石は高さ約1・8メートル。表には「豊竹緑太夫墓」、裏には「明治二十四年旧三月十八日 行年六十才」と刻まれている。緑色片岩とみられ、周辺にはないという。

 数年前から地域で進めている公園整備のため、通路を作ろうとしたとき、地元住民の祖先の墓石とみられる高さ50~30センチの墓石があちこちに転がっていた。太夫の墓石はひときわ大きく、斜面にうつぶせに倒れたままで、人力で動かせなかったため、故人の名前までは分からなかった。

 ところが今春、近くの元建設業石川栄次郎さん(76)が小型重機でこの墓石を持ち上げ、刻まれた「太夫」の文字を見て驚いた。「普通の人じゃない。どこかの文楽の師匠では、と思った」。太夫とは伝統芸能、人形浄瑠璃の情景や登場人物のせりふを語る演者だ。

 石川さんによると、この一帯は第2次世界大戦中に旧日本軍が接収し、本土決戦に備えた作戦本部「西部軍」(通称)の司令部が置かれ、総延長約4キロの地下壕(ごう)も設けられた。「墓は縁起が悪く、軍事拠点にそぐわないから、地縁者のいない墓たちは埋められたのだろう」と石川さん。

 太夫の墓が見つかった周辺は戦後、植林地だったが、今は荒れた竹林に。土砂の流出や地表の浸食で出てきた墓石がほかにも点在しているという。

 地域住民は太夫の墓が倒れていた近くの共有地に地元住民の祖先とみられる7人の墓石とともに、太夫の墓を建て直した。石川さんは「何らかの理由で山家を訪れ、この地で客死し、そのまま埋葬されたのでは」と推察する。

 「この方はどんな人だったのか。山家と文楽の関係は? 子孫や詳しい関係者がいれば教えてほしい」と石川さん。供養祭は25日午前10時から、山家の船頭木地区にある共有地で執り行われる。

(上野洋光)

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