新聞も募った決戦の歌

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 先週のNHK連続テレビ小説「エール」は、主人公の音楽家が戦時の士気を高める歌を作ることに葛藤する内容だった。

 本紙の「ワイワイ川柳」欄に「朝ドラの軍歌になぜか目がうるむ」(長崎県佐世保市の力武弥生さん)という投句があった。あの時代を知る方々は、さまざまな思いでこのドラマを見ておられることと感じる。

 福岡市は戦前、今は知る人も少ない「市歌」を作った。満州事変の1931年、市教育会が歌詞を募集し、下祇園町の金子健造さんの作品が選ばれて賞金50円を受けた。当時、レコードの値段は国産SP盤で1円20銭ほどだったから、40枚も買えた額になる。曲は「ゴンドラの唄(うた)」の中山晋平が付けた。

 歌い出しは時代の空気を反映し、モンゴル軍を撃退した鎌倉武士の武勇をたたえて始まる。

 「元寇(げんこう)十万屠(ほふ)りしところ/歴史は千代のふかみどり/松原かけていさをしの/ほまれぞかをる/おゝ漲(みなぎ)らふ/西日本の力なる/福岡福岡とどろく都(みやこ)」

 3番まである歌詞はどれも「都」で結ばれていたが、文部省から「都と呼ぶのは皇居のある東京だけ」というクレームがあり「我(わ)が市」に変わったという。

 日本が太平洋戦争に突入すると、軍部とマスコミは国民の士気を鼓舞する歌を盛んに作った。

 45年8月1日付の西日本新聞をめくると、西部軍管区報道部が歌詞を募っていた「決戦九州の歌」が完成したという記事がある。「皮を切らせて肉を切り…九州すでに敵をのむ」という詞で、曲は「燃ゆる大空」などの軍歌を多く書いた山田耕筰が付けた。

 一方、西日本新聞自らも2日付の紙面で新軍歌「われらは九州義勇戦闘隊」の歌詞を募るという社告を載せている。賞金は千円。あらゆる物資が不足していた頃で、価値を表現するのは難しいが、前年までの芥川賞と直木賞の賞金はこの半額の500円だった。いよいよ本土決戦、敵の上陸地は九州かという中で、地元紙も背水の覚悟だった。

 さらに5日には、全国の新聞社やNHKなどと一緒に「国民の軍歌」を募る社告を載せた。こちらは内閣情報局の後援を受け賞金は5千円に跳ね上がった。

 日本は追い詰められていた。そこへ6日に広島へ、9日には長崎に原爆が投下されたのである。

 敗戦。完成した「決戦九州の歌」もごく短い間に地元のラジオで流れた後は、ほとんど歌われることなく終わり、他の軍歌募集の話は立ち消えになった。

 本来は郷土の賛歌であり授業で「明るく晴れやかに」歌うよう教えていた福岡市歌も、もはや時代に合わないと忘れ去られていった。 (特別編集委員・上別府保慶)

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