新ガリバー旅行記(20) 現地適応の条件【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

 <2000年7~8月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載随筆「新ガリバー旅行記」(全50回)>

 現地ペシャワルには、さまざまな日本人たちも出入りした。日本人列伝だけで一冊の本になる。赴任初期はアフガン戦争のまっ最中、普通の日本人は誰(だれ)も寄りつかなかった。たまに訪れるのは、おおむね日本社会にはなじめぬアウトロー的な者が多かった。「義勇兵」としてゲリラに投じ、前線で銃を手に戦った者もある。私も仕事の必要上、少なからずゲリラ勢と関係があったし、百鬼夜行の中、危ない橋も渡らざるをえなかったころである。

 Tさんもその一人で、一九八六年にペシャワルのわが家を訪れた。その時すでに覚悟をしていたらしく、アフガン・ゲリラに投ずる直前だった。出身が川筋の同郷だし、長らく日本人を見なかったので、快く会った。義侠心(ぎきょうしん)の塊のような人物で、礼儀正しかった。

 人間には決死を覚悟したとき、自分の存在の記憶を、何らかの形で残そうとする習性があるらしい。Tさんも去る間際に、「もし戻らなかったら、Tというけちな野郎を思い出してやってください」と手短に述べた。決して芝居じみては聞こえなかった。私も化石日本人に属するから、政治的な考えはまるで違っていても、ある種の共感を覚えた。本当に何かを覚悟した者は、ぺらぺらと語らないものである。

 その後彼は、弾の飛び交う前線にいた。二、三年たって消息がなかったので、てっきり死亡したものと思っていたら、ある日ぶらりとお礼に現れた。その後の生き方には賛成できぬものがあるが、私が驚いたのは、Tさんが全く現地語をしゃべらず、しかも単独で修羅場を通したことである。九州弁だけで荒くれパシュトー人ゲリラを数年率いてきたのだ。これは現地ワーカーの適応に手をやいてきた私の参考になった。人の意思疎通はことば以上のものが必要だ。明確な目標、毅然(きぜん)たる意思表示、誰もが分かる行動性、命も惜しまぬ楽天性、そして仲間への配慮と適度の社交性、これらの必要条件を彼は満たしていた。逆に言えば、こうした人は日本で生きにくくなったのであろう。

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