あの日、何を報じたか1945/10/23【目指す政治の生活化 棄権防止へ部落ごとに投票場 参政権と婦人の心構え】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈政府は来るべき臨時議会に婦人参政権を上程することに決定した。これは異議なく通過するものと思われるので、いよいよ明春の総選挙から満二十歳以上の女子二千二百万人に選挙権が与えられ、女性の社会的立場に新しい黎明が満たされることになった。それについて婦選運動の大御所市川房枝女史ならびに目下新日本自由党の誕生に当たり、政界の第一線に活躍中の代議士鳩山一郎氏夫人に女性の心構えを聞いてみた〉

 連合国軍総司令部(GHQ)の指導による改革の中で、女性参政権がついに実現する見通しとなった。明治期の終わりごろから始まった運動は、戦争の遂行もあり権利を獲得できていなかった。記事は大きなスペースを割いている。

 〈市川房枝女史 早いもので新婦人協会で婦選運動の最初の声を上げたのが大正八年ですからもう二十七年になります〉

 1893年生まれの市川房枝は当時52歳。1919(大正8)年に平塚らいてうらとともに新婦人協会を結成、以後女性の参政権獲得に向けて尽力してきた。

 〈昭和六年には婦人公民権が議会に上程され貴族院、衆議院の委員会も通過したのが本会議で否決となり、そこへ満州事変が突発し、以来わが国は戦闘生活に突入し、婦人参政権も足踏み状態で現在に至ったのでした〉

 この曲折を経て、くしくも敗戦が婦人参政権の実現をもたらした。「時期尚早」という否定的な向きもあったようだが、市川氏はこう説明した。

 〈中には婦人の政治的訓練の不足で時期尚早論を唱える人もありますが、私は結構大丈夫と確信しております。米国ワイオミング州で初めて婦人参政権が実施されてから七十年になります。日本婦人も戦争によって目覚ましく鍛えられました。若い婦人は勤労動員によりその社会的認識を高められ、家庭婦人もまた配給生活を通じて直接生活に結びつく政治的関心を深めました〉

 市川はさらに、女性に選挙権を与えても父や夫に従うだけでは、という意見があることについても〈それでも結構です〉と断言。次のような見通しを語っている。

 〈選挙権を持ったというだけ違います。婦人の心構えも政治に無関心ではいられなくなるし、立候補者の政見も婦人有権者を考慮に入れれば必然的に生活問題に触れてきます。単なる党派争いに終始する議会ではなくなるでしょう。(中略)国民と切り離したものでない政治の生活化が婦選の獲得によって実現すると思います〉

 翌1946年4月10日、戦後初の衆院総選挙で約1380万人の女性が投票、39人の女性国会議員が誕生した。(米軍政下の沖縄を除く)定数466に占める女性当選者の割合は8・4%だったが、1949年以降は長く1~2%台が続いた。「平成」に入りその割合は上昇したが、2017年総選挙での当選者に占める女性の割合は10・1%にとどまる。

 市川の最後の言葉が実現する日は、まだ来ていない。 (福間慎一)

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 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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