「レイシズムは政治家の飛び道具」 背後に放置された社会の不公正

西日本新聞 文化面

 9月末、米大統領選挙に向けた最初の討論会が開かれた。トランプ大統領が白人至上主義者の団体を非難せず、「引き下がって、待機するように」と発言したことが話題になった。人種問題は、大統領選の大きな争点のひとつだ。

 アメリカの文化人類学者にとっても、それは克服すべき長年の課題だった。今年4月、ルース・ベネディクトが1942年に刊行した著書の邦訳『レイシズム』(阿部大樹訳、講談社学術文庫)が出た。ベネディクトといえば、傑出した日本人論『菊と刀』で知られる人類学者だ。

 ベネディクトは、本書の「まえがき」をあるエピソードからはじめる。大学の講義で人種主義に科学的根拠はなく、国や民族に優劣などないと説明を終えて教室を出ようとすると……。

 <そのとき誰かがふと立ち上がって、「でもそうは言っても、ニグロと白人は違うじゃないですか?」(「ニグロ」のところが、「ジャパニーズ」であることも「インディアン」であることもあるが、いずれにせよ)こうなると、人類学者はもう一度、例の言葉を繰り返さなくてはならない。人種間に差異があることと優劣があることは違います、差異については科学の対象ですが、生物学的に優劣があるなどというのは無根拠な偏見です、と>(9頁(ページ))

 文化人類学を教えていると、日本でも同じような経験をする。ベネディクトは、この人種主義=レイシズムがなぜ蔓延(まんえん)しているのか、それに終止符を打つにはどうすればいいのか、という問いに答えるために本書を執筆した。

 彼女は、身体的特徴を理由に戦争や大規模な迫害をするレイシズムがヨーロッパ文明で生まれたとしたうえで、「人種とは何・ではないのか」から説明をはじめる。それは言語や文化、民族や国境とは関係がない(だから「日本人という人種」といった言い方は誤りだ)。ナチス・ドイツが好んで使った「アーリア」は、古代インド語からスラブ語や英語などを含むインド=ヨーロッパ語族を指す言語学上の概念で、頭の形や髪の色などとは関係なかった。そもそも先進的と考えられてきたヨーロッパ文明は、エジプト、インド、中国、中東など、さまざまな民族や文化がともにつくりあげたもので、特定の人種だけの功績ではない。

 ダーウィンが示したように、生物学的な「種」の概念は交配可能な生物の集団を意味している。つまり人類内部に異なる「種」は存在しない。それでも皮膚や毛髪、瞳の色、鼻の形など、19世紀にはさまざまな人間の分類があらゆる領域に浸透した。それらの身体的特徴は、絶え間ない人類の移動と通婚の結果である。純粋な人種や〇〇人がいるなど、幻想にすぎない。

 レイシズムは、ナショナリズムの時代となった20世紀に「錦の御旗」となった。19世紀末に普仏戦争に敗れたフランスでは、フランス人とドイツ人は祖先が異なるという俗説が唱えられた。ドイツの側でも、古代ゲルマン人の末裔(まつえい)としてのドイツ人の優秀さを主張する都合のよい説がでっち上げられた。そうした動きがナチスのユダヤ人迫害にもつながる。ベネディクトは、レイシズムが国家の政治的な利害関係からつくられ、煽(あお)られるという。「現代というナショナリズムの時代には、レイシズムは政治家の飛び道具である」(167頁(ページ))。

 ベネディクトは、人種差別の本質は、人種そのものにはなく、社会の不公正がまねく対立にあると論じる。だから不公正を是正し、差別につながる社会状況を最小化することが重要だ。少数派も多数派も生活が保障され、将来への不安が消えれば、人種差別は減らせる。逆に他国民への恐怖を煽ったり、特定の人を辱めたり、社会参画を阻害したりすれば対立は激化する。つまり、誰もが取り残されないという意味での民主主義をきちんと機能させる必要がある。

 21世紀の日本でも、レイシズム的な特定の人を排除する言動はなくなっていない。それはかならずしも差別する側やされる側に問題があるわけではない。対立の背後には、社会の不公正と生活への不安が放置されてきた状況がある。分断はときに政治的にも利用される。レイシズムの根底には政治の責任がある。それが今も昔も対立や差別が生み出される構図なのだ。

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 ◆松村圭一郎(まつむら・けいいちろう) 1975年、熊本市生まれ。岡山大准教授(文化人類学)。京都大大学院博士課程修了。エチオピアでフィールドワークを続け、富の所有と分配などを研究。「うしろめたさの人類学」で毎日出版文化賞特別賞。近著に「これからの大学」「はみだしの人類学」。

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